東洋医学コラム
2006年4月の「院長の独り言」
再び恬淡虚無(てんたんきょむ)(2006年4月)
恬淡虚無(てんたんきょむ)の一つ一つの漢字を調べてみました。
恬は、やすらか。平然として落ち着いている。平気でいる。しずか。うすい。起伏が無く落ち着いている。しずかな心。などの意味があります。 恬は心(意味)+舌(音・意味)から成り立ち、舌の平らな面のようにペッタリと落ち着いた心ということからできた会意兼形声文字です。
ちなみに会意文字とはその漢字が二つ以上の意味を表す漢字からできているということです。
形声文字とはその漢字が意味を表す部分と音を表す部分の二つからできているということです。
会意兼形声文字とはその二つが合わさった文字ということです。
淡は、あわい。うすい。刺激が無いさま。色や味がうすいさま。あっさりしたさま。あっさりとしたもの。欲望がうすいさま。などの意味があります。
淡は水(意味)+炎(音)から成り立ち、静かに安定していて刺激がないことからできた形声文字です。
水と炎の組み合わせというのも面白いですね。炎は音のみで意味は関係ないのですが、燃え盛る炎を水で消しているのかなと想像してみるのも面白いです。
虚は、むなしい。くぼんで中があいているさま。転じて中身がなくうつろであるさま。から。むなしくする。うつろにする。からにする。いつわり。中身がうつろな。実質がともなわないさま。などの意味があります。
虚は丘の原字(両側に丘があり中央にくぼんだ空地があるさま)+コ(音)から成り立ち、くぼんでなかがうつろなさまからできた形声文字です。
無は、ない。形や姿がない。物や事がらが存在しない。なかれ。ないこと。老子や荘子の考えで、現実の現象以前のもので有を生み出すもとになるもの。などの意味があります。
無の甲骨文字は人が両手に飾りを持って舞うさまで、後の舞の原字でもある。無は亡(ない:意味)+舞の略体(音・意味)からなる会意兼形声文字で蕪(茂って見えない)や舞(ない物を神に求めようとして神楽をまう)などと同系のことばで見えなくないものです。
ここで、虚や無と同じように東洋思想でよく使われる空についても調べてみました。
空は、むなしい。穴があいている。中に何もなくつきぬけている。からっぽ。うつろ。そら。おおぞら。地上のなにもないくうかん。仏教で意識(色相)をこえてすべてをゼロとみなす悟りの境地。いっさいのものは因縁によって生じるもので不変の実体はないという仏教の根本原理の1つ。などの意味があります。
空は穴(意味)+工(音・意味:つきぬく)から成り立ち、つきぬけて穴があき中に何もないことを示す会意兼形声文字です。
空とか無とか虚とかは一見すると同じような意味ですが、元々のイメージでは、空、虚、無それぞれ微妙なニュアンスの違いがあります。
このような漢字の微妙な違いを知ることは東洋医学・東洋思想を知るうえで必要なことだと思いますし、また楽しいことでもありますね。
参考文献:漢和大字典 藤堂明保 学習研究社
脈について(2006年4月)
東洋医学の重要な診断法の1つに脈診があります。
中国や日本の伝奇小説や古典などを読むと東洋医学の医者が(昔は西洋医学はないので皆東洋医学なのですが)患者の脈を診るだけで患者のすべてが解かるという話がでてきます。
もっとすごいのになると、脈を診て天変地異を予言したりという話まででてきます。
多くは小説の類の話ですが実際にあった昔の名人の伝説的な話も秘伝書を通していくつかは現在まで残っています。
このように古来から東洋の文化のなかで脈というものの位置づけが他の診断法(問診、舌診、腹診など)とは明らかに異なっていました。
その要因として特に中国において患者の肌に直接触れるということが特に貴人(身分の高い人)に対して行いにくかったという文化的側面から脈診という診断法が重んじられたということもあるでしょう。
しかし私はもっと大きな要因として東洋の気の思想があると思います。
気の思想とは簡単にいうと、世界は目に見えるものと目に見えないものから成り立ち、目にはっきりとは見えない何か(気)が世界を動かしている中心であるというものです。
昔の人にとって脈というものは、はっきりとは目に見えないけれども感じることのできる何かだったのでしょう。
ですから、脈というものが生命の本質である気を直接的に表していると考え、脈診という診断法が他の診断法とは異なる位置づけを与えられていたのだと思います。

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