コラム

このページは、東洋医学(中医学)理論を解説するページです。『東洋医学について』、『東洋医学の基礎知識』、『東洋医学簡史』をベースに、『東洋医学コラム』、『養生』などを掲載いたします。

東洋医学簡史

東洋医学簡史「中国編」

明の時代(1368〜1644年)

この時代は、薬物学が発展しました。方剤学、臨床医学、鍼灸においても発展をとげました。明代は、それ以前と比べ、医学者による著作の数も多く、その内容も豊富です。

主な著作物を列記すると、李時珍の『本草綱目』、高武の『鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)』、楊継洲(ようけいしゅう)の『鍼灸大成』、陳実功(ちんじっこう)の『外科正宗(げかせいそう)』などで、大著が多く存在します。

本草綱目鍼灸大成校釈外科正宗
『本草綱目』
安微科学技術出版社
『鍼灸大成校釈』
楊継州著
黒龍江省祖国医薬研究所校釈
人民衛生出版
『外科正宗』
(明)陳 実功著
天津科学技術出版社

清の時代(1644〜1911年)

この時代の特徴としては、一つは温病学説の形成でしょう。温病とは急性伝染病のことで、腸チフス、コレラ、マラリア、ジフテリア、ペストなどすべて含まれます。最近では、SARSなんかが話題になりましたね。これらのものに対して、有効な理論と治療技術が打ち出せるようになりました。

もう一つは考証学の発展です。考証学とは古代の様々な医学文献をつけあわせて調べ、実証的、客観的に古典を調べるというものです。

また、清政府の命により、『古今図書集成』医部全録や『医宗金鑑』などの、それまでの東洋医学の集大成ともいうべき書物が作られました。

しかし、鍼灸にとっては悲しいことに清政府は鍼灸禁止令を発します。「鍼灸の一法、由来すでに久し、然れども鍼をもって刺し火をもって灸するは、究ところ奉君の宜しき所にあらず、太医院鍼灸の一科は、永遠に停止となす。」これは王様に鍼を刺したり、火でお灸をするのはけしからんということらしい。太医院(国の最高医療行政機関)のみのことだったのが広まり、それまで漢方薬と双璧だった鍼灸は、小道だなどとおとしめられることになり、鍼灸の発展に一時的にマイナスとなりました。

日本でも戦後GHQが鍼灸治療を見て、日本人は病人を虐待しているとして鍼灸が廃止されそうになったことがあります。鍼灸師などの反対運動で幸運にも廃止はされませんでしたが。(病人をいじめているわけではないのに、おかしなことをいうものです)

現代における中国医学事情

今まで見てきたように、中国では、優れた医家によって諸説が提唱されたため、様々な流派が存在しました。それを毛沢東の号令による国家プロジェクトで、これまでの歴代の医学体系を、「中医学」という一つの体系的な理論でまとめあげました。現在、中国各地には、「中医学」を学ぶための国立中医薬大学が存在し、「中医」を多数排出しています。現代の中国では、漢方薬も鍼灸もこの理論で行われています。また中国だけでなく、アメリカ・ヨーロッパなども中医学の理論によって漢方薬や鍼灸が行われています。

参考文献
『中国医学の歴史』主編傳維康、編訳川井正久、東洋学術出版
『中国医学はいかにつくられたか』山田慶児著、岩波新書


「日本編」へ進む

(中国編5)隋・唐・五代期、宋・金・元の時代へ戻る

「東洋医学簡史」トップへ戻る

△ページTopへ戻る