「院長の独り言」年度別
2009年7月~12月の「院長の独り言」
- 『癒す力をさぐる 東の医学と西の医学』(遠藤次郎、中村輝子、マリア・サキム著、農文協)(2009年12月)
- 『神仙道と植芝盛平』を読んで(2009年11月)
- 『中国における妊娠・胎発生論の歴史』(中村禎里著、思文閣出版)(2009年10月)
- 『鍼の力 -知って得する東洋医学の知恵-』(藤本連風著、緑書房)(2009年9月)
- 一寸法師は鍼灸師!?(2009年8月)
- カンフーと功夫(2009年7月)
『癒す力をさぐる 東の医学と西の医学』(遠藤次郎、中村輝子、マリア・サキム著、農文協)(2009年12月)
民族の数だけ伝統医学がありますが、本書『癒す力をさぐる―東の医学と西の医学 (図説 中国文化百華)』では、伝統医学を大きくギリシャ医学系、インド医学系、中国医学系の3つに分け、それぞれの概略と中国医学とのかかわりについて書かれています。
ギリシャ医学はアラブ地域に伝わりアラブ医学(イスラム医学ともユナニ医学とも呼ばれる)として発展します。
その後アラブ医学はヨーロッパにも伝わり近代医学が出来るまでヨーロッパ・アラブ地域の中心的な医学でした。
中国医学とアラブ医学のつながりはイメージしにくいのですが、中国のウイグル族はアラブ医学の系統で中国医学では植物の地下部が多く使われるのに対し種子や果実を多用します。
三国志で有名な華佗は西域つまりアラブ医学の技術を持っていた(イラン人またはイラン人に医学を教わった中国人)とされています。
宋代に『和剤局方』という本が出版されます。
これは中国では基本的に一人一人の症状に合わせて薬の処方を考え煎じていたのを、あらかじめ薬を作り置きして患者に投与するというものでした。
また剤形もそれまでは湯剤、丸剤、散剤しかなかったのが『和剤局方』ではその他に丹、飲子、膏、餅子、煎、錠、雪など様々な剤形が収録されています。
多くの剤形があり、あらかじめ薬を作り置きしておくのはアラブ医学の特徴でもありますので何らかの影響があったとも考えられます。
インド医学はインドで生まれた医学で仏教とともに伝わりチベットをはじめ中国や日本にも影響を与えました。
インドでは地大、水大、火大、風大からすべてのものは成り立っているとし、身体では地大は肌・肉・骨などの固体を表し、水大は粘液・痰・冷性の体液、火大は胆汁・熱性の体液、風大は気液・体風素を表します。
四つに分けるところはギリシャ医学と同じですがギリシャは四体液論でインドは三体液論です。
中国との関係で面白いのは「痰」の字が中国で出来るのが唐の少し前の時代からでちょうどこの頃は仏教が盛んなときでした。(『金匱要略』にも「痰」の字は出てきますが後代にこの字に書き換えられたものでもともとは「淡」の字だったようです。)
つまり「痰」という概念はインド医学から伝わったということで、これが後に気血津液理論(日本漢方で言えば気血水理論)につながっていきます。
『神仙道と植芝盛平』を読んで(2009年11月)
本書『神仙道と植芝盛平―合気道と太極拳をつなぐ道教世界』(清水豊著、ビイング・ネット・プレス)は、道教経典である『陰符経』の解説書です。
著者は合気道や太極拳の指導を行っている方で、道教の経典である『陰符経』を合気道や太極拳などの武術の立場から解説されています。
内容は合気道の植芝盛平や太極拳の様々な達人達の言葉を引用し彼らに共通する根本的な在り方が『陰符経』に書かれている世界と同じであるというものです。
『陰符経』は道篇、法篇、術篇の三篇からなります。
道とは天(宇宙)のはたらきで、法はそれが目に見える形に表れたもので、術はそれを自分たちが利益になるようにする為のノウハウです。
人が術ばかり追い求めてしまうと天(宇宙)のはたらきである道から離れてしまう。
そうすると滅んでしまう。
人は道に根ざして生きていかなくてはならない。
道を知るために術を知り、法を知り、そして道を知ることが大切だというものです。
高度な科学技術の発達が自然を破壊し人類に危機をもたらす可能性を私達は多く目にします。
道から離れない、自然や宇宙の在りようから離れない私達の在り方が大切なのでしょう。
個人的には『陰符経』の表現が面白いです。
五行を五賊と表現したり、普通に機というところを殺機と表現したり、天は生み天は殺すと表現したり、経典のわりにずいぶん過激です。
でも考えてみると『老子』のなかにも5章に「天地は仁ならず、万物を以って芻狗と為す」(天地はなさけ深いわけでなく、万物を葬儀用の藁人形と同様に扱う)という言葉があります。
天(宇宙)のはたらきは感情によって動かされるものではなくただ無心に執行されるものだという冷徹で厳しい現実認識があるのでしょう。
『中国における妊娠・胎発生論の歴史』(中村禎里著、思文閣出版)(2009年10月)
本書『中国における妊娠・胎発生論の歴史』は、まえがきにも書かれていますが妊娠・胎発生論という特殊な問題を通じてより広く中国の生命観の歴史をたどるというものです。
概略を述べますと、妊娠・生命の発生については、一つは気の凝集をもって生命の誕生を説明する見解、二つ目は天地または男女で示される陰陽の二つの気の交流によって生まれるとするもの、三つ目に陰陽の二つの気以外のものの関与があるとされるものがあります。
三つ目の一つの例として「精(父)血(母)交会し、識その間に投ずれば、すなわち娠あり。」(三因極一病証方論、陳言)というのがあり識というのは仏教では輪廻転生する本体ということで簡単に言うと魂のことで仏教思想の影響が伺われます。
胎発生論に関しては馬王堆から出土した帛書『胎産書』などは現存の最も古い胎発生論書であり妊娠1か月目から出産する10か月までをひと月ごとにどうなるか書かれていて五行の関与が中心で書かれています。
その後『諸病源候論』や『備急千金要方』に引き継がれますが道教思想なども取り込み一応の集大成となります。
その後、仏教思想の影響を受けたと思われる『五臓論』、流産・堕胎によって得られた胎の観察が反映している『太平御覧』、君火を仏教の識と位置づけた『三因極一病証方論』などが出てきて様々に展開されていきます。
東洋医学の立場からすると胎の発生に関してはあまり重きが置かれていません。
妊婦さんの症状に合わせてどのような治療を行うかに重点が置かれているからだと思います。
しかしながらそんな中でも生命の発生である妊娠や胎の発生に思いを馳せた人達がいて、様々に思考を積み重ねることで様々な理論が出来てきたのだと思います。
『鍼の力 -知って得する東洋医学の知恵-』(藤本連風著、緑書房)(2009年9月)
今年(平成21年)の7月に藤本先生の『鍼の力―知って得する東洋医学の知恵』が出版されました。
この本は藤本先生が奈良朝日カルチャーで一般の方々向けの公開講座での講演をまとめたものです。
内容は東洋医学は病をどのように捉えどのように治しているのかという東洋医学の根本であるものの見方考え方、そこからその背景となる東洋思想である太極陰陽論・老荘思想などについて述べられています。
鍼灸師の立場から書かれた一般向けの東洋医学の解説書はあまり無いのが現状です。
このような一般向けに書かれた良質の書籍がもっと出版されることを切に願います。
東洋医学に興味のある方は是非読まれたらと思います。
一寸法師は鍼灸師!?(2009年8月)
北海道新聞に歌手の合田道人さんの連載で『あの日の歌景色』というのがあります。
童謡に関するエピソード満載で、たとえば『赤い靴』の女の子は実在したとか『アルプス一万尺』はアメリカ民謡となっているけどあれはアルプスの少女ハイジのアルプスではなくて日本アルプスのアルプスで「小槍(こやり)」という名の山が本当にあり、その高さが3030メートルでちょうど一万尺であるとか面白い内容の記事が書かれています。
2009年7月14日(火)の連載は『一寸法師』でした。
法師というのは一般的にはお坊さんを指しますが、髪をそった男の子や当時坊さんの格好をした鍼灸師も法師と呼ばれていました。
また、一寸法師は針を持っているところから、一寸法師は実は病気という鬼をやっつける鍼灸師だったのではないか、とあくまで推論ですがそう述べられていました。
(ちなみに鍼灸師が使う鍼の長さはいろいろですが、一般的に多く使われるのは一寸から一寸六分の長さの鍼でこれも合致しますね。)
私達鍼灸師からすればうれしい内容で、これまでも身近な一寸法師でしたがもっと親近感が湧きました。
鍼灸師のマスコットキャラクターにしたいぐらいです。
でもそうすると童謡の一寸法師、
「指に足りない一寸法師 小さい体に大きな望み~」
童謡の歌詞を変えなくてはならなくなりますね。(笑)
*合田道人さんの連載は本にもなっています。
『童謡の風景』(合田道人著、北海道新聞社)
『童謡の風景2』(合田道人著、北海道新聞社)
カンフーと功夫(2009年7月)
カンフーはジャッキー・チェンやブルース・リーに代表される香港映画によく出てくる中国武術をさしますが、本来は中国武術をさす言葉は「カンフー(功夫)」ではなく「国術」という言葉みたいです。
ちなみに「功夫」を辞典(現代中国語辞典 光生館)で調べてみたら、
- 本領、手腕、工夫
- 修練、努力
- 時間、ひま
と出てました。
ジャッキー・チェンやブルース・リーは武術の修練を積んだ人という意味で「功夫」が使われたのがおそらく中国武術そのものを指すようになったのでしょう。
中国では武術に限らず広く使用される言葉のようで、お茶でも功夫茶という使われ方をするようです。
功夫茶(または工夫茶と書く)は時間や手間を掛けお茶を楽しむ為のこだわり(工夫:手間ひま)だそうです。
日本の茶道はどちらかというと礼儀作法というか精神性を重視しているのに対し、中国の人々の功夫茶は香りや味というどちらかというと実用面を大切にしているところも面白いです。
もっと面白いのが功夫に「時間」という意味があることです。
映画やドラマのカンフーのマスターは必ずといっていいほど老人が出てきます。そして強いんです。
まぁ、ドラマだからっと言ってしまえばそれまでですが・・・。
でもここに「功夫」のというか中国文化・東洋文化のかけらが流れ出ているような気がするのですが。
一般的にスポーツの世界ではある年齢を越えるとスピードもパワーも衰えて弱くなると考えられています。
でも「功夫」は長い時間をかけて工夫し努力するという修練を積み重ねた「何か」なんだと思います。
そこには時間の積み重ねが必要で中国人・東洋人の時間の積み重ね・歴史の積み重ねに対する絶対的な信頼があるように思います。
そしてそのようにして生まれるたものが「技」であり「芸」なんだと思います。