「院長の独り言」ジャンル別

「院長の独り言」をジャンル別でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

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「院長の独り言」ジャンル別~2014年~2016年に紹介した書籍

鍼灸・東洋医学・医療関連書籍

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鍼灸・東洋医学・医療関連書籍

『茶の湯と陰陽五行』(淡交社編集局編集、淡交社)(2016年3月)

東洋医学の基礎となる陰陽五行思想は、日本の文化にさまざまな影響を与えました。

茶の湯と陰陽五行本書『茶の湯と陰陽五行―茶道具にみられる陰陽五行』では茶の湯と陰陽五行思想の関係がいくつか紹介されています。

たとえば、寅の刻に水を汲むのは木火土金水のなかの木気に一日のうちで最初になる時刻で季節でいえば春に相当し陽気が生れる時なので水を汲むのに適した時間であります。

五行棚には文字通り竹(木)の柱、炭の火、風炉の土、釜の金、水の五行が揃っています。

また茶事は初座は陰、後座は陽とそれで陰陽が揃うようになっています。

東洋医学には、天人合一という言葉があり、大宇宙と小宇宙(人体)は相関しているというものです。

同じように茶道においても、四畳半ほどの小さな空間のなかで茶を服するという行為のなかにも世界(宇宙)が在るということなのでしょう。

それを表現するのに、謂わば陰陽五行という記号で表しているのだと思います。

私は茶道に関しては全くの門外漢ですが、陰陽五行思想がこのように使われていると知ると面白くまた嬉しく思いました。

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『医者は現場でどう考えるか』(ジェローム・グループマン著、美沢 惠子訳、石風社)(2016年2月)

医者は現場でどう考えるか本書『医者は現場でどう考えるか』の著者ジェローム・グループマン氏は、ハーバード大学医学部教授で、がん、血液疾患、エイズ治療の第一人者であり、多くの新聞や科学雑誌に寄稿している方です。

本書は一般の方を対象として書かれており、分かりやすくしかも本質的なことが書かれています。

アメリカの医科大学教育において近年は、アルゴリズムやディヴィジョンツリーなどの論理的診断や科学的エビデンス(統計学的に立証されたデーターに基づいた治療)が重要視されています。

しかし、著者はそれを評価しつつ、ある種の危惧も抱いています。

論理的思考による診断だけでなく、パターン認識などによる直観的認識や自分自身で考えたり、創造的に考えることも大事なのではないか。

統計は平均を表すもので必ずしも個体を表していない、また医師個人の経験に基づく知恵(臨床試験の成績から得られたベストの治療法が、目の前のその患者のニーズや価値観に適合するかどうかを判断する医師個人の知識)も大切なのではないか。

また著者は、実際の現場についても述べています。

実際の現場の医師は膨大なデーターを集めてからありうる診断に悠長に仮説をたてて考えるようなことはしない、患者に会った瞬間から診断を考え始めなければならない。

誤診の大半は技術的な問題ではなく、医師の思考法の欠陥(いわば思考の落とし穴)によるものである。

本書ではいくつか例え話も出てきてそれも面白かったです。

見た目はアヒル、歩き方はアヒル、鳴き声はアヒルの動物はなんだ?

答えはアヒル。

ところが、いつもアヒルとは限らない。

本書を読み終わった後、思い浮かんだのは将棋や囲碁の棋士の話でした。

プロの棋士は、対局のとき直観的に最初に頭に浮かぶ手が8~9割正解だそうです。

それまでの経験からその局面がパターンとして類型化され、認識され、それが直観的に把握されます。

あとはそれに誤りがないか、見落としがないかどうかを確認するのに時間が必要なのだそうです。

私たち東洋医学では弁証論治という論理的なアプローチも持ちながら、直観的なアプローチも持っています。

双方の良い点を補いながら、より良い治療に繋げていけたらと思います。

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『安藤昌益の自然哲学と医学 続・論考 安藤昌益〈上〉』(寺尾五郎著、農山漁村文化協会)(2015年12月)

本書『安藤昌益の自然哲学と医学 ―続・論考 安藤昌益〈上〉』は、天地を転定と書き改めたり、男女と書いてヒトと読ませたり、江戸時代の独創的な思想家安藤昌益について書かれた本です。

安藤昌益は武士や僧侶などの特権階級を無くして万民直耕を唱えたため彼の社会思想の面がよく語られますが、安藤昌益は実は医師でもありました。

本書ではそんな安藤昌益の自然哲学と医学の面について書かれています。

面白いのは安藤昌益の自然哲学と医学もかなり独創的なことです。

当時の医学の基礎となる自然哲学は気・陰陽五行で多くは説明されていました。

安藤昌益は自然の働きを「活真」、陰陽に相当するものを「進退」、木を「小進」、火を「大進」、金を「小退」、水を「大退」と呼び、土は活真そのもの、又は活真の行われる場として考え活真を「土活真」とも呼びました。

ここで安藤昌益は何故このように変えたのかと考えると、自然の働きはダイナミズムなのだという思いがあったのだと思います。

医学についても通常は外邪としては、風寒暑湿燥火の六邪ですが、安藤昌益は進木気は風邪で胆を傷る、退木気は滋邪で肝を傷る、進金気は涼邪で大腸を傷る、退金気は燥邪で肺を傷る、進火気は熱邪で小腸を傷る、退火気は蒸邪で心を傷る、進水気は寒邪で膀胱を傷る、退水気は湿邪で腎を傷ると八邪説となっています。

また互性という考えがあり、心と肺、大腸と小腸、肝と腎、胆と膀胱がそれぞれ互性の関係で、例えば心が病めば互性関係の肺も一緒に治療するというものでした。

昌益の医学の体系も独創的です。

安藤昌益の医学では婦人門(産婦人科)から始まり小児門(小児科)、頭面門(眼科・歯科・耳鼻咽喉科)、精道門(泌尿器科)、風門・滋門・熱門・蒸門・涼門・燥門・寒門・湿門(内科)、瘡門(外科)、乱神病(精神科)となります。

当時は本道(内科)から始まり、外科、眼科・歯科・耳鼻咽喉科、婦人科、小児科という流れが普通でした。

おそらく、その当時の医学を乗り越えようとした安藤昌益の苦闘なのだと思います。

実際には安藤昌益の医学は大きく広まることはありませんでした。

中央ではなく秋田という地方にいたことも関係しているかもしれません。

しかし、大正天皇をも治療した近代の漢方の名医浅田宗伯の『勿誤薬室方函・口訣』のなかに安藤昌益伝として安肝湯という小児の薬が載っているというのも面白いめぐりあわせだと思いました。

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『江戸時代の医学 ―名医たちの三〇〇年』(青木歳幸著、吉川弘文館)(2015年11月)

江戸時代の医学本書『江戸時代の医学 ―名医たちの三〇〇年』は、名医達の話を中心にして江戸時代の医学、漢方・蘭方の全体像が述べられています。

個人的には石坂宗哲などは載っていましたが鍼灸の偉人達の話が少なかったのが残念でした。

面白かったのは躋寿館(後の幕府医学館)の医生を対象とした100日教育の内容です。

  • 『本草』『霊枢』『素問』『難経』『傷寒論』『金匱要略』の六書を学ぶこと
  • 経絡や穴処取りの技術を身につけること
  • 止宿の者はこの間、門外他出を禁ずること
  • 飲酒や勝負ごと、遊芸はもちろん、医学の助けにならざることは禁止のこと
  • 止宿の者は自分賄い(自炊)すること
  • 貧窮者には、名主や町役人らから証人や請人があれば、学館から食事や書物、夜具なども支給すること
  • 禁制を破った者は、吟味のうえ、退去のこと
  • 医学館での講説・会読の教授料は医学館から手当てするので、受講者からは一切徴収しないこと

以上の内容でその他、医案会、疑問会、薬品会なども行われていたそうです。

学ぶ者にとっては非常に恵まれた環境で、私も江戸時代の医生であれば是非とも参加したと思います。

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『江戸時代の医師修業 ―学問・学統・遊学―』(海原亮著、吉川弘文館)(2015年10月)

本書『江戸時代の医師修業 ―学問・学統・遊学―』は、なかなか知り得ない江戸時代の医師の実像を知るひとつの手掛かりとして貴重な資料です。

江戸時代、医師になる多くは初め自分が住んでいる地域の手習い師匠から基礎的な教養を学び、その中の優秀なものが近隣の町や村の医師のもとに弟子入りし、そこで医学の基礎を学びました。

その後師匠の同意が得られると高度な技術を習うため近くの都市へ出向き、医学塾で鍛錬することになります。

さらには江戸・京都・大阪などの三都や長崎など医学の先進地へ修業の旅にいくこともあったそうです。

本書では実際の遊学の様子を、越前国福井藩府中領の医師皆川文中の日記や石渡宗伯の書簡から描き出していてとても面白かったです。

また福井藩の医学所のカリキュラムも資料から知り得て面白いです。

13歳になると医学所に入学し「萌生」となり、『小学』『四書五経』の素読をマスターし、漢方『傷寒論』『金匱要略』、蘭方『医範提綱』『解体新書』の習読が済んだ者は「初級」に進む。

「初級」は漢方『素問』『霊枢』『難経』『千金方』『同巽方』『外台秘要』『温疫論』『外科正宗』、蘭方『内科撰要』『熱病論』『病因精義』『医療正始』『済世三方』『和蘭薬鏡』『遠西名物考』『病学通論』等の習読が済んだ者、『傷寒論』『金匱要略』『医範提綱』についての詳しい講義を受けた者を「進業生」とする。

「進業生」のうち、毎年提出する「活按」で宜(優)が三年続いた者を「成業生」とする。ただし、原書の翻訳授講が出来る者は活按の成績に関わらず「成業生」とする。

「成業生」のうち受講の心がけがよく、学問・話術とも優秀な者を「得業生」と名付け、重役の医官として採用する。

このカリキュラムで面白いのは漢・蘭を等しく学んでいるという点です。

江戸時代、漢方医と蘭方医は一部では争いもあったのでしょうが、一般庶民への臨床の場では状況に応じて漢方や蘭方を使い分けて共存していたということが窺えます。

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『体の中の原始信号』(間中 喜雄、板谷 和子著、地湧社)(2015年8月)

体の中の原始信号本書『体の中の原始信号―中国医学とX‐信号系』は1990年、今から25年前に出版されたものです。

著者の故間中喜雄先生は医師でありながら鍼灸業界の発展に寄与された大家です。

現在は鍼灸はまだそれ程でもないですが、医師が漢方薬を処方するのは当たり前の時代になりました。

しかし間中先生がご存命の頃は医師が漢方薬や鍼灸を行うのは、まだまだ変人扱いされた時代、そんな時代に医師でありながら鍼灸に情熱を傾けられたのは素晴らしいと思います。

もしかすると将来的には医師が鍼灸を行うのが珍しくない時代が来るかも知れません。

本書の内容としては、通常鍼の効果の説明は「鍼の刺激による反応を利用して治療する技術」とされていますが、刺激とは言えないほどの微小な謂わば信号によって身体が反応し変化する例をいくつか挙げ、その身体の反応をX-信号系と名付けて、経絡・ツボの身体反応もX-信号系によるものではないかという仮説を述べています。

微小な信号によって身体が反応する例として、メスメルの動物磁気説、フネケのインプレトール療法、ホメオパシー、O-リングテストなどが挙げられています。

またツボ・経絡が身体にどの様な反応をもたらすかの例に、いくつかの実験が述べられています。

実験1

○右手の合谷穴に圧痛があるとき、右手の曲池穴に電池のプラス極を当てると右手の合谷の圧痛が軽減する

○右手の合谷穴に圧痛があるとき、右手の曲池穴に電池のマイナス極を当てると右手の合谷の圧痛が増強する

○右手の合谷穴に圧痛があるとき、右手の二間穴に電池のプラス極を当てると右手の合谷の圧痛が増強する

○右手の合谷穴に圧痛があるとき、右手の二間穴に電池のマイナス極を当てると右手の合谷の圧痛が軽減する

実験2

○右手の魚際穴を赤色で塗ると右手の合谷穴の圧痛が軽減し、左手の合谷に圧通が現れる

○右手の少商穴を青色で塗ると右手の合谷穴の圧痛が軽減し、左手の合谷に圧通が現れる

これらの実験は直接的には臨床に役立たないかもしれませんが、ツボ・経絡が身体にどの様な反応をもたらすかという重要な知見を与えてくれるものと思います。

謂わば東洋的身体論のなかのツボ・経絡身体論というべきもので、西洋医学の基礎医学にも相当するものと思います。

このような分野も今後更に発展しなければならないと思いました。

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『匂いの身体論』(鈴木隆著、八坂書房)(2015年7月)

著者の鈴木隆氏は香料会社に勤務する調香師の方です。

本書『匂いの身体論―体臭と無臭志向』は、汗や大便などの匂いの元となる成分の話から、フェロモンやムスク(麝香)などの香料の話、自己臭症の話、哺乳類の母子関係においても匂いが重要な役割をしており、人間においても分娩後一時間のうち母子の肌と肌の触れ合いが重要とされ、その時の匂いも関係しているようであるという話など匂いに関する話がたくさん書かれてます。

面白いのは歴史や文化によって匂いの意味づけが異なっているということです。

また本書のタイトルである「身体論」の説明に、

「近代西洋哲学において思考の対象から外されてきた人間の身体性という視点をもとに、もう一度人間とは何かを考えてみたものだろう。 身体論というジャンルが哲学史のなかに確固たるものとしてあるわけではなく、哲学、社会学、文化人類学、歴史学といった分野から、ときに医学的あるいは生物学的な視点を含んでなされた、身体をめぐるさまざまな考察が身体論の名で呼ばれている。」

と書かれており、

「その背景に西洋ではもともと歴史的に精神は高等で肉体は下等であるという心身二元論であり、それを明確にしたのがデカルトであり、その後精神のみを扱う哲学は主観的、観念的な方向に向かい、身体と物質を精神と切り離して客観的に扱う態度が近代科学へと向った。
この心身二元論に対立する一元論のものとして唯心論と唯物論があり、唯心論は精神が全てを作りだすというもので物質も精神の作りだす現象と捉え、唯物論は物質が全てを作りだすというもので突き詰めれば人間のからだは機械と同じとなる。
そのような背景の中で心身二元論の伝統のもとでは身体そのものが蔑視され、また唯物論的な一元論では人間は機械という見方に行き着き、機械と世界の接点である感覚に関心が向いたものの臭覚はあまり研究の対象となっていない」

とし、これまで嗅覚が重要視されなかったのは何故かという文化的背景から問い直し嗅覚、匂いというものの意味を改めて問い直し人間というものを考えようということが筆者のいう「匂いの身体論」と思われます。

この身体論というものがここ近年出てきたことに、私は非常に共感を覚えます。

今迄と違った視点から身体を見ると、これまでとは異なった様相の身体が見えてきたりします。

そのような多元的な身体を知る一助に東洋医学的な身体観もあると思います。

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『無(Ⅰ~Ⅲ)』(福岡正信著、春秋社)(2015年6月)

『無(1~3)』福岡正信著本棚を整理していたら、私が学生の頃に読んだ3冊の本『無[Ⅰ]神の革命』、『無[Ⅱ]無の哲学』、『無[Ⅲ]自然農法』が出てきたので改めて読んでみました。

著者の福岡正信さんは自然農法の先駆けで、現在自然農法の指導的立場の人々のなかにも福岡さんの影響を受けてその道に入ったかたも多々いらっしゃいます。

著者は禅的な思想を背景に人間のいっさいのはからいを無くしたあるがままの世界、自然(じねん)の世界を追い求め、それを農業という実践を通じて表現しようとした方です。

『無[Ⅰ]』では著者の無の思想の説明があり、『無[Ⅱ]』では西洋近代の哲学と比較しながらの無の思想の説明、『無[Ⅲ]』では無の思想による自然農法の説明となります。

私は学生の頃この本を読んで、非常に強い憧れと反発を覚えたものでした。

憧れは単なる頭の中だけの思想ではなく実践する思想であることでした。

その当時、思想は知行合一ではないですが、単なる机上のものではなく、実用のもの、実践して有用なものでなくてはならないという強い思いがあったからです。

反発は、釈迦でもキリストでもない凡夫の我々が、一切のはからいの無い、悟りのような無の境地に本当に辿りつけるのだろうか?

一切のはからいを捨てるとなると原始人の様な生活になるが、そんなのは所詮無理な話で、科学の行き過ぎを咎めるとしてもある程度バランスのとれた所で落ち着くより他は無いのではないか?

科学も謂わば道具の様なものだから悪用にも有用にもなるのではないか?

そんな疑問を持ったものでした。

私はサラリーマンを辞める時、東洋医学の道に行くか、自然農法の道に行くか迷いましたが、この本の影響も少なからずあった様に思います。

科学技術は凄いもので、巷には色んなモノが溢れ、社会の様々なシステムも高度に効率化した現代。

時間は加速度的に小刻みになり、人間はますますせっかちになり、高度に管理された息苦しい社会となっている気がします。

「科学は確かに世の中を便利にした、しかし、本当に人を幸せにしたのだろうか?」

著者はこの様に我々に問いかけているように思います。

無[Ⅰ]神の革命 無[Ⅱ]無の哲学 無[Ⅲ]自然農法

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『猟師の肉は腐らない』(2015年5月)

猟師の肉は腐らない本書『猟師の肉は腐らない』は著者の友人である義しゃんという猟師のもとに数日泊り込んだ体験を面白おかしく書いた本です。

ただ面白いだけでなく、そこには昔から伝わる生活の知恵がふんだんにあり、無くしてはいけない文化だと思いました。

著者が裏の物置から猪の肉を持ってきた義しゃんにどうして腐らないんだろうと尋ねると、
「わげね。腐んねえようにしてあんだ。 ぶつ切りした肉に潮まぶしてない、それを縄できつく縛ってからよ、囲炉裏の天上に吊るしておくんだわい。そうすっと、ほら、煙で燻されっぺ。三月ぐれい吊るしておけばあとは大丈夫なんだ。」
と事も無げに答え、灰燻し(はいいぶし)という他の肉の保存方法も著者に教えます。

灰燻しは直径40センチ深さ50センチぐらいの穴を掘り、枯れ葉と生葉を混ぜたものを穴に厚く敷き、下処理した野兎などを置きその上に混ぜた葉を被せ、その上に枯れ葉のみをてんこ盛りにし、火を付ける。そうすると煙で燻されるのと、灰の働きで肉が保存できるようになるというものです。

猟師の肉は腐らないの帯私が個人的に興味を覚えたのは、牛蒡(ゴボウ)の葉に虫に刺されたときの腫れを引かす働きがある切り傷のとき手元に薬が無い時は灰を塗ると良いといった、蓬(ヨモギ)やペンペン草も傷に良いと知っていることでした。

ちなみに、蓬(ヨモギ)は漢方では“艾葉”といい止血作用があります

ペンペン草は春の七草の“薺(ナズナ)”のことで、漢方では“薺菜”といいこれにも止血作用があります

正統な漢方の立場からすると民間療法というのは一段低く見られがちですが、山の民に昔から伝わる知恵というものも見過ごしてはならないと思いました。

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『養生訓』(貝原益軒著、松田道雄訳、中公文庫)(2015年4月)

養生訓本書『養生訓』は江戸時代に貝原益軒が83歳のときに書いた養生についての本です。

『養生訓』は養生についての単なるハウツーものではなく、養生についての心構えも説いています

『養生訓』は「人のからだは父母をもとにし、天地をはじまりとしたものである」という言葉からはじまります。また「人の命は我にあり、天にあらず」という言葉も書かれています。

これは要するに、命・身体は大切なものだから粗末に扱うな、大事に扱えば丈夫に長持ちするということです。

どのように身体を大事に扱うか、それは身体を損なうものを避ける、つまり内欲と外邪を避けるということです。

内欲とは飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、おしゃべりの欲、七情の欲などで、外邪とは風寒暑湿であると『養生訓』で述べています。

養生訓ここで現代中医学では外邪は風寒暑湿燥火の6つですが、『養生訓』では風寒暑湿の4つです。

暑と火はほぼ一緒なので暑に含めたとして、燥が無いのは何故か。

日本は基本的に梅雨もあり湿気が多い国なので燥邪による病は当時少なかったためだと思います。

内欲ですが畏や忍や少という言葉を使い、好き勝手せず欲を我慢することを述べています。

とくに飲食の欲、食べ過ぎを重要視していますが、運動せず怠けていたいのも一つの欲であると思います。

また七情は感情のことで、心は身体の主人なのだから、いつも心を安らかにして心気を養わなければならないとしています。

現代においてもストレスなどでイライラしたり思い悩んだりして、心の平安が乱されるのは注意しなければなりません。

『養生訓』には目の洗い方、歯の洗い方、入浴の仕方、房中などの細かいハウツー的な部分もありますが、『養生訓』は大要としては欲を少なくして心を平安にし、時々運動して気血を循環させ、外邪の悪影響を受けないように注意する

当たり前といえば当たり前のことですが、当たり前のことを当たり前に行うことが大事なのだと思います。

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『西太后 最後の十三日』(宮原 桂著、牧野出版)(2015年3月)

本書『西太后 最後の十三日』は清朝皇室のカルテ集『清宮医案研究』を基に西太后や光緒帝の最後を描き出しています。

清朝の宮中には太医院という部署があり、宮中医が皇帝をはじめ宮中の治療を東洋医学で行っていました。

謂わばその時代の最高の東洋医学がカルテを通して垣間見れるのは同じく東洋医学を行っている者にとってとてもわくわくすることです。

宮中医として皇帝に仕えることは虎と眠りを共にするようなものだという言葉があるように、太医院の宮中医は栄光と転落が背中合わせの世界だったようです。

太医院には医学教育を行う教習庁があり、そこでの基礎教育は『類経注釈』『本草綱目』『傷寒論』の三書だったそうです。

太医院の宮中医は教習庁の卒業生の他、各地からの推挙によって入った優秀な者もいたようです。

鍼灸を生業としているものとして、ただ残念なのはこの時代、太医院には鍼灸科が無かったことです。

この時代、大方脈(内科)、小方脈(小児科)、外科、眼科、口歯科の五科だったそうです。

清朝初めには、大方脈(内科)、小方脈(小児科)、傷寒科、婦人科、瘡瘍科、鍼灸科、眼科、口歯科、咽喉科、正骨科、痘疹科の十一科で鍼灸は重要な一翼を担っていたのに残念です。

これは漢民族と満州民族の文化の違いなのかどうか分かりませんが、清朝になって鍼灸がある意味衰退したことになります。

もちろん民間の間ではそれなりに鍼灸が行われていたのでしょうが、国の公的なレベルでは間違いなく衰退したということになると思います。

気になる西太后の最後ですが、本書によると西太后は74歳という年齢もあり夏ごろがら下痢が続き体力が弱っていたところに感冒に罹り、それが治りきらないうちに4日間続く誕生祝賀会出席というハードスケジュールをこなして急激に体調が悪化し最後は心不全により亡くなったというものです。

西太后の最後が、まるでドラマのように描かれていてとても面白かったです。

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『蘭学事始』(杉田玄白著、片桐一男訳、講談社学術文庫)(2014年8月)

今回は『蘭学事始』の紹介です。

実は私は長いこと杉田玄白があまり好きになれませんでした。

というのも杉田玄白が『解体新書』を翻訳するときにそれまで東洋医学で使っていた内臓の名前を、そのまま当てはめて翻訳したからです。そのため西洋医学と東洋医学が同じ用語を使うこととなり、現代の我々が東洋医学を学ぶ上での混乱の一つにもなっています。

もちろん杉田玄白は、いい加減に内臓の名前を当てはめたわけではないので重なる意味合いの処もあるのですが、基本的に東洋医学と西洋医学では概念が異なるのです。

占いもそうですが(私は占いに関しては専門外ですが)、西洋占星術は実際の天体の状態を詳しく調べますが中国占星術はそれほどまでではありません。

それはパターン分析の道具として星を使うからで、東洋医学も同じです。

身体というブラックボックスに対して、どのようにインプットするとどのようにアウトプットが出てくるか、それを五臓六腑という道具(概念)を使ってパターンを分析したものなので、実際の内臓の状態はあまり関係がないのです。

西洋医学はそれと異なり、実際の物質としての内臓がどうなのか、というのが非常に重要になるわけです。

『蘭学事始』を読むと最初に南蛮流、オランダ流の医学の流派が出てきます。

西流外科、栗崎流外科、桂川流、カスパル流外科など外科ばかりで、西洋医学が実際の物質としての内臓を重視していたからこそ外科が発達したのだと思います。

それと比べると中国医学は外科学はあまり発達しませんでした。

つまり中国医学は、生薬やツボなどのインプットを通して身体の調子を整える内科学こそがその本質なのです。

話が大分逸れましたが、『蘭学事始』は杉田玄白が83歳のときの回顧録です。

その当時オランダ語の通訳でさえオランダ語の文章が満足に読めないような時代に、同じ志を持つ仲間と『解体新書』を翻訳する苦労や、その前後の蘭学に貢献した人々及び蘭学界の動向などについて書いたものです。

志を成し遂げる困難、それに立ち向かう熱い想いが無ければ到底成し遂げられなかったであろうことが伝わります。

本書の最後に「一滴の油」という言葉が出てきますが、池に一滴の油を落とすと、波紋のように広がりやがて池全体に広がる、そのように蘭学が世に広まった。

杉田玄白の喜びが感じられました。

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『鍼灸雑記』(吉元昭治著、医道の日本社)(2014年5月)

本書鍼灸雑記 』は2011年に出版された本で、第一部と第二部とに分かれています。

第一部は中国医学を理解するために、その背景として中国の伝統思想、なかんづく道教思想が重要だとしています。道教の経典である『道蔵』から鍼灸や東洋的身体観に関する部分を述べたり、中国や日本の養生書から東洋的身体観を述べています。

第二部は経絡理論、足底や耳鍼や頭鍼などの反射理論、サイバネティクスやフラクタルなど鍼灸に応用できそうな現代的理論、MP鍼やイオンパンピングなどの鍼治療などが紹介されています。

本書は鍼灸の理論を考える上での良い参考書のひとつだと思います。

何をするにも、ものの見方・考え方は非常に重要で、我々のように伝統鍼灸を中心に考える者にとって、東洋的ものの見方・考え方、東洋的な身体観を身につけるのは必須であります。本書の第一部はその参考になるものでした。

患者さんの身体は人それぞれ、千々万々です。千々万々の変化に対応するために色々な引き出しを持つのも大切です。本書の第二部はその参考になるものと思います。

個人的には「あとがき」で著者が『道蔵』のなかの医学的経典目録を執筆中とのことでしたので、早く見てみたいと思いました。

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