「院長の独り言」年度別

「院長の独り言」を時系列でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

「院長の独り言」年度別

2019年7月~12月の「院長の独り言」

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『人類と気候の10万年史』(中川毅著、講談社ブルーバックス)(2019年12月)

人類と気候の10万年史本書『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』の著者は福井県水月湖の湖底の堆積物・年縞(一年ごとの地層)を研究されている古気候学者です。
水月湖の湖底の堆積物は15万年分にもなりそのうち年縞は5万年分だそうで、花粉などから当時の気候の様子が分かるそうです。

水月湖の研究も興味深かったのですが、個人的にはもっと大きなタイムスケールでの地球の気候変化が面白かったです。

世界各地の岩石に含まれる酸素の同位体比から復元された過去5億年の気候変化では、地球は寒冷と温暖を何度も繰り返しています。
現代は氷期が終わった後の温暖な時代ですが、北極と南極には氷が残っています、しかし1億年前から7,000万年前は北極と南極にも氷が無かったそうで、大きな傾向の中ではむしろ現代も寒冷な時代とも言えます。

南極の氷に含まれる酸素と水素の同位体比から復元された過去80万年の気候変動では、現代と同じような温暖な時代は全体の一割しかなく、数十万年のスケールでみた場合には正常なのは氷期で、現代のような温暖な時代は氷期と氷期の間に10万年ごとに繰り返す例外的な温暖時代ということでした。

グリーンランドの氷に含まれる酸素の同位体比から復元された過去6万年の気候変動でもう少し細かく見ると、温暖期は細かな変動はあるものの基本的には温暖な状態を一定に保っていて、氷期は基本的には寒冷であることは確かなのだが非常に気候が不安定な時代で、その氷期の中でも急速に現代と同じくらいに温暖化したのが、過去6万年でも17回あるそうです。

近年、気候変動、温暖化が大きな問題となっています。
今後100年で最大5℃程度の温暖化になるともいわれています。
また反対に現代は本来ならばもう氷期になっていてもおかしくないともいわれています。

これまで続いたことは今後も続くという線形的認識や、二度あることは三度ある的な周期的認識で、単純に答えを出すことに本書の著者は反対していて明確な答えを出していませんが、気候という様々な要因が絡む複雑な問題にたいしては、地球規模と人間とのタイムスケールの違いによっても気候変動の意味が違ってくる部分もあると思いますし、安易に答えは出せないし、出さない方がよいのかもしれませんね。

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『日本近代二百年の構造』(謝世輝著、講談社現代新書)(2019年11月)

日本の近代化については、「日本の近代化は明治維新から始まった」「維新以前はまだ封建社会の時代で、前近代である」「外圧により日本の近代化は始まった」などと一般的には考えられていますが、本書『日本近代二百年の構造』の著者は1770年代の江戸時代にすでに日本の近代化が始まった、と述べています。
明治元年が1868年で、大政奉還がその前年の1867年ですので、およそ百年前に日本で近代が始まったことになります。

その論拠として、その当時日本だけでなく、インド、中国をはじめアジアの各国が西洋の外圧を受けていたのに何故日本だけが近代化できたのか、外的要因だけでなく内的要因が重要なのではないか、それは日本では独自に近代化を始めていたからではないか、というものです。

実際1770年代前後から、日本ではコメ経済から商品経済へと移行していき封建的な経済が崩壊してきたこと。
また、日本的な合理主義がこの頃生まれたこと。
心学などの修養の教えが西洋のピューリタニズム と同じように禁欲や勤勉を生み出し、寺子屋や藩校も増え識字率などが向上したこと。
などを挙げ、これが近代化の始まり、萌芽ではないかということです。

日本的な合理主義の例として、三浦梅園、山片蟠桃などを挙げていますが、個人的に面白かったのは、吉益東洞や山脇東洋らの古方派(古医方)を日本的な合理主義の例として挙げたところです。
古方派はそれまでの学説をただ鵜呑みにするのではなく、実際に経験してみて有効なものを尊重する実証科学ともいうべきもので、その中から山脇東洋らのように腑分け(人体解剖)をする人達が出て杉田玄白の『解体新書』につながっていきそれが蘭学の隆盛につながります。
また、吉益東洞らのように中国とは違った日本独自の合理主義的な東洋医学(漢方医学)を生み出す人達も出てきます。
実はこの古方派の流れは、伊藤仁斎や荻生徂徠の古学の影響を受けのものですが、古学自体も『論語』などの儒教の古典に帰るべきだとして、文献学的に実証的な学問を打ち立てたものです。

歴史もいろんな見方があるとは思いますが、興味深く面白かったです。

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『野の医療 牧畜民チャムスの身体世界』(河合香吏著、東京大学出版会)(2019年10月)

野の医療 牧畜民チャムスの身体世界本書『野の医療―牧畜民チャムスの身体世界』は、人類学者がケニア北部の牧畜民であるチャムスの民族医学について書いたものです。
病気というものを考えたとき、どの様にして病気を認識しているかは社会的、文化的な側面が大きいことを人類学は教えてくれます。
同じようなアフリカの牧畜民であっても病気の認識の仕方は異なるようです。

チャムスの人達は自分の経験した身体不調を日常的によくお互いに語り合っているそうです。
また、チャムスの社会では呪術的な病気理解の比重は軽く、家畜の解体や身体感覚などから生み出された独自の身体観を持ち、それにより病気を認識理解しています。
チャムスの人達は西洋医学の病院や専門の伝統医をほとんど使わず基本的には自家治療が中心ということです。

具体的な治療は薬草、瀉血、マッサージ、熱刺激・冷刺激などで他のアフリカの牧畜民の伝統医学とあまり変わりませんが、病気の認識は面白く思いました。

病気や病気からの治癒を身体の状態の変化としてとらえており、他の経験と同じく個人的な経験として捉え「病気イコール負け」というような負のイメージとして捉えていないようです。
また病気は当然身体にかかわる問題ですが、死は人間の存在に関わる問題で身体にかかわる問題ではないとして、死を病気に連続する問題として扱っていないそうです。

本書を読んで思ったのは、チャムスの医療の世界では患者本人が医療の中心なのだ、ということでした。
近代合理主義以降の現代医療の世界では、病気の認識も診断・治療も全て医師に委ねざるえなくなっています。
医療の中心であるべき患者本人が医療から疎外されているようにも思えます。
もちろん近年インフォームドコンセントやセカンドオピニオン、患者本人による治療の選択など患者本人が医療に参加する動きがありますが、患者がどれだけ医療の枠組みの中に実感を持って参加できているかは疑問に思うところもあります。

近代合理主義以降の物の見方・考え方は本当に正しいのか、修正するところ、補うところはないのか、現代医療は本当に人を幸せにする医療なのか。
これは医療だけではなく、環境問題、経済の在り方、国際秩序の在り方など、社会の在り方にも繋がると思うのですが、近代合理主義以降の物の見方・考え方を再考することも大事なのではないか。

そういった面からも東洋医学・東洋思想というものが現代に存在する意味があるのではないか、と改めて思いました。

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『手の治癒力』(山口創著、草思社)(2019年9月)

手の治癒力本書『手の治癒力』は、手による癒しについて書かれています。

古代では手による癒しは重要な治療の手段であったが現代の医療では手を介した肌と肌の触れ合いがほとんど無い医療になってしまった。

手を含めた触覚の脳に占める割合は大きいものであるし、実際皮膚感覚がこころとからだに大きな影響を与える。

猿の赤ちゃんがスキンシップの無い状態で育てるとちゃんと育たなかったという実験結果などの例もあり、スキンシップはこころとからだの成長や健康に重要である。

そのようなことから手を介した皮膚へのアプローチはこころとからだの健康にこれからますます必要である。

ザックリと要約すると以上のような内容でした。

また、現代はメールやSNSなどのネットによる文字や画像の情報の割合が非常に大きく、触覚などの身体を通した情報の割合が減少しているのではないか、という指摘は個人的にとても面白かったです。

現代医療は薬物療法が中心でありますが、鍼灸などの非薬物療法、物理療法の役割というものがもっと見直され、もっと現代の医療のなかで占める割合が増えていくことを期待します。

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『東西生薬考』(大塚恭男著、創元社)(2019年8月)

本書『東西生薬考』は、東洋と西洋の生薬を比較したものです。
東洋では『神農本草経』から西洋では『ギリシャ本草』から本格的な生薬についての研究がはじまります。

本書を見て面白かったのは、同じ生薬に対しては洋の東西を問わず同じような薬効を認めていたということです。
特に萬菫不殺、トリカブトの毒とサソリの毒を合わせると毒性が弱まることを2000年程前に中国とローマで知っていたということは驚きでした。
中国とヨーロッパでその当時から東西交流があり伝わっていったのか、それとも中国とヨーロッパで別々にその薬効を見つけたのか、分かりませんが、いづれにしても凄いことだと思います。

近代合理主義以前はヨーロッパもギリシャ医学と呼ばれる伝統医学でした。
ギリシャ医学は現代には伝わらず滅びたわけですが、文献である程度知ることができます。
ギリシャ医学だけに限りませんが様々な伝統医学同士を比較研究することは重要だと思います。
それにより東洋医学の本質への理解が深まり、未来に向けての在り方のヒントも得られると思うからです。

ちなみに、著者は漢方の医師として活躍されましたが、そのお父さんは大塚敬節先生といって漢方医学復興に尽力した非常に有名な漢方医です。

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呼吸について(2019年7月)

3の法則というのがあります。
人間は一般的に空気がない状態で3分、非常に厳しい天気環境で避難所なしで3時間、水なしで3日、食料なしで3週間生きられるというものです。
逆に言うと空気がないとか、ちゃんと呼吸できないと体にとってそれだけ大きなダメージがあるということになります。

東洋医学的にも呼吸は大事で、肺の臓の働きで呼吸が行われるのですが、それにより(肺の宣発粛降作用により)気を全身に巡らす働きをしています。

高齢者の健康維持のために、スクワットなどの運動が推奨されていますが、これはサルコペニア(筋力低下による運動器疾患)予防のためですが、呼吸も呼吸筋によって行われているので呼吸筋のトレーニングも大事であります。
一般的には、詩吟や歌を歌ったり、スポーツ吹き矢などが推奨されています。

呼吸法(静座)も有用です、日本でも岡田式静座法や藤田式静座法などの丹田呼吸法がありますし、中国の気功では、六字訣という呼吸法の気功があります。
これは、呼、吹、呵、呬(口偏に四)、嘘、嘻(口偏に喜)の六字を発声するもので、ちなみに肝は嘘、心は呵、肺は呬(口偏に四)、脾は呼、腎は吹、三焦は嘻(口偏に喜)の字が当てられています。

呼吸法の歴史を遡ると、荘子の外篇のなかの刻意篇に、吐故納新、吹呴(口偏に句)呼吸という文字が出てきます。
ちなみに刻意篇の論旨は世を悲観してばかりの山谷の士、道徳や教育を重んじる儒学者、政治を至上とする朝廷の士、世捨て人、健康法ばかりに重きをなす養生家を否定し、恬淡寂寞とした執着しない心を持てば自然と道は開けるというものですが、いずれにしてもこの頃には健康法として呼吸法を行っていた人がいたということです。

吐故納新は故(古いもの)を吐いて新しいものを納(入れる)というもので、呼吸を意味します。
吹呴(口偏に句)呼吸も吹は息を吹く、呴(口偏に句)も体を折り曲げて息を出すという意味で、吹も呴(口偏に句)も呼も息を出すことで吸は息を吸うことを意味しています。

面白い仮説の一つに吹呴(口偏に句)呼吸が六字訣の源流であるというのがあります。
呴(口偏に句)は現代では嘘の字を当てているので、六字訣の中の吹、嘘、呼があり、吹呴(口偏に句)呼吸は吹、嘘、呼の発音をしながら息を吐き、吸で息を吸うというものです。

実際には、この当時行われた吐故納新や吹呴(口偏に句)呼吸がどんなものだったのかは分かりませんが、個人的にはとてもシンプルなものだったのではないかと思っています。

ちなみに私は個人的にアレンジして、口からハァ~と息を10秒以上を目標に吐き切り、鼻から息を吸ってまた口からハァ~と息を10秒以上を目標に吐き切る呼吸法と口をすぼめてフ~と息を10秒以上を目標に吐き切り、鼻から息を吸ってまた口をすぼめてフ~と息を10秒以上を目標に吐き切る呼吸法を気が向いたときに30回ずつ行っています。

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