「院長の独り言」年度別

「院長の独り言」を時系列でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

「院長の独り言」年度別

2025年1月~6月の「院長の独り言」

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『中国医学の誕生』(加納喜光著、東京大学出版会)(2025年4月)

中国医学がいつ誕生したのか、はとても難しい問題で学者によって色んな説があるようです。

本書『中国医学の誕生』では幅広く中国春秋戦国時代から秦漢にかけて誕生したとしています。

こまかくいうと、春秋戦国から前漢までを医学思想の形成期、後漢を医学古典の成立期と仮説をたてています。

本書では中国医学が形成されるまで、巫医、秦医、斉医の3つの流れがあったとしています。

一つ目の巫医はいわゆるシャーマンによる治療です。中国に限らず世界のどこの文化圏でも最初の治療行為はシャーマンによる治療とされるわけですが、正統な中国医学ができると異端として正統な医学からは追い出されます。

しかし一部は祝由や呪禁、仏教や道教の中に残ります。

近代になると気功として中国医学の一部として組み込まれます。

二つ目の秦医は春秋戦国から秦にかけて西方の影響を受けた宮廷医です。

中国医学は基本的には内科学であり、外科は皮膚表面のおできなど化膿したものを切開する程度でしたが、インドやペルシャなどでは外科学が発達しており体内の異物を除去することも行われていました。そのインドやペルシャの外科学を身に着けた医者が秦医ですが、中国医学の中には組み込まれず、伝説的な外科治療の話が伝わるのみです。

三つ目の斉医は新しい治療法、鍼術を引っさげて登場した遍歴医です。

この斉医のグループは新しい医術と理論を開き、その中の一人(及び弟子たち)は諸方を遍歴して驚異的な医療活動を行い、人々からシンボリックな鳥の名をもって呼ばれ治癒神に祭り上げられた。

それが中国医学の祖である扁鵲である、としています。

事実、中国医学のバイブル的な存在である『黄帝内経』は『素問』と『霊枢』に分かれますが、大まかにいうと『素問』は生理学・病理学を述べ、『霊枢』は鍼について述べています。

極論すれば中国医学は鍼によって、鍼の理論によって作られたと言っても、過言ではないと思います。

鍼による治療は中国医学の成立から現在まで続きますが、残念ながら中国医学の中に占める鍼の地位は歴史の経過のなかでメインではなく、わきに追いやられて、漢方薬が中国医学のメインになります。

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四診~望聞問切~(2025年3月)

東洋医学の診察法を四診といいます。

四診は望診聞診問診切診の四つをいいます。

簡単に説明すると、

望診は西洋医学の視診に相当するもので、患者さんの舌や顔面、体全体の状態を目で観察するものです。

聞診は聴覚と嗅覚によるもので、患者さんの呼吸音、話し方、セキの音、体臭、口臭などを観察します。

問診は様々な身体の状態を質問して患者さんの情報を集めるものです。

切診は触覚によるもので、脈診や腹診、背中や手足のツボなどを観察します。

望、聞、問、切の四つを漢和辞典で漢字を調べると、

は、「扉を閉じて中がよく分からない、へだたりを通して耳に入る」というものです。イメージ的には壁に耳を当てて中の音を集中して聞いている感じでしょうか。

は、「扉を閉じて中がよく分からない、口で探り出す」というものです。イメージ的には例えば、閉じた扉の向こうで大きな音がして、「今音したけどどうしたの?」などと色々質問して中の様子を知ろうとする感じでしょうか。

は、「刃物をピタッと切り口に当てる」というもので、脈診なりツボを診るときに指を皮膚にピタッと当てるところからこの漢字が使われたと思います。

それぞれその漢字が使われた理由が直ぐに分かる気がするのですが、問題はという漢字です。

「みる」という意味の漢字は、見る、診る、観る、視るなど沢山あります。

その中でなぜ望という字が使われるのか?

は、「人が伸びあがって遠くの月をまちのぞむ」です。

つまり望は基本的に遠くを見るときに使われる漢字です。

話は少し脱線しますが、私はあまり美術館には行かないのですが、それでもたまに行くと、美術に詳しそうな人が絵画を観るのに近づいて観たり、少し離れて観たりを繰り返しているのを見かけたりします。

昔の人が望という字を使ったのはこういうことなのではないか、と思います。

「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、全体を見ることの大事さ、もちろん「森を見て木を見ず」になってはいけませんが、細部(部分)と全体、両方診ることの大事さを望という漢字が教えてくれているように思います。

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難経腹診の五臓の配当について(2025年2月)

腹診は中国や韓国ではあまり発達せず、日本において大きく発達しました。

腹診には漢方薬的な診方、『難経』的な診方、募穴(腹部にある五臓六腑を代表するツボ)による診方、夢分流という独特な診方などいろいろな診方があります。

今回は難経腹診の五臓の配当について、ちょっと脱線した話をします。

難経腹診の五臓の配当は、心下(心窩部)で心の臓を診る、大腹(胃カン部)で脾の臓を診る、右脇下で肺の臓を診る、左脇下で肝の臓を診る、小腹(臍下)で腎の臓を診ます。

これは鍼灸学校で、当たり前に暗記させられるものですが、私はこれに疑問を抱いていました。

現在は扁鵲の正解と一致するかどうか分かりませんが、自分なりの答えを持っています。

その当時の疑問はこうです、『難経』の一つの大きなテーマはマクロコスモスとミクロコスモスが相関しているということです。

自然と人間が相関している、中医学用語では天人相関といいます。

なので、『難経』では季節によって脈が変化するというようなことも書かれているわけです。

マクロコスモス(自然)とミクロコスモス(人間)の関係を『難経』では陰陽五行で説明しています。

心は火で南、脾は土で中央、腎は水で北、肺は金で西、肝は木で東です。

これをお腹に方位として当てはめると、心下が南、大腹が中央、小腹が北、右脇下が西、左脇下が東となります。

これは実際の方位と比較すると鏡像になっている、つまり上下は一致するけれども、左右は反対になっています。

実際の方位とお腹の方位が一致しないのは間違っていると考えていました。

私なりの答えを述べてしまうと、犬も馬も動物は四つ足です。

人間は直立していますが、動物でもあるので四つ足、うつ伏せが正常な姿勢と考えるとお腹の方位と実際の方位が一致します。

当たり前として暗記しているような知識もその背後にある理論的な背景などを改めて考えてみるのも大事なことだと思います。

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2025年年始のご挨拶(2025年1月)

あけましておめでとうございます。

本年も無事にお正月を迎えることができました。

これもひとえに太玄堂鍼灸院を応援してくださる家族、友人そして患者の皆様のお蔭だと思っております。

昨今は地政学的問題や気候変動の問題などで、今まで当たり前に享受できたものが、当たり前では無い不安な時代になろうとしています。

患者の皆様の体だけではなく、気持ちの面でも少しでも健やかに過ごせるよう日々精進したいと思います。

本年も皆様にとって良い年でありますよう、心よりお祈りいたします。

2025年1月1日
太玄堂鍼灸院 福田毅

2025年年賀状

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