「院長の独り言」ジャンル別
「院長の独り言」ジャンル別~鍼灸・漢方・東洋医学・東洋思想・気功編~
鍼灸・漢方・東洋医学・東洋思想・気功編 ―2023年-2025年―
- 折衷主義(2023年11月)
- 老荘思想(2023年9月)
- 周易と老子(2023年8月)
- 周易と老子(2023年8月)
- 温故知新(2023年7月)
- 鍼の響き(2023年6月)
- 易の話のつづき(2023年5月)
- 山沢損と風雷益(2023年4月)
折衷主義(2023年11月)
折衷主義とは、クライアントの問題に応じて最も適した方法をとる立場で、既存の各理論から活用できるものは何でも使う立場のことです。
私も患者さんの症状によっては他の理論も使うので実際は折衷主義の立場をとっているのですが、折衷主義に対する反論もあります。
一つの理論を学ぶのにも5年10年とかかるのに、たくさんの理論をマスターできるのか?
折衷主義とは器用貧乏ではないか、何でも浅く知って深くないので効果を上げれないのではないか?
それに対する反論として
理論をマスターすることの意味として各理論のすべてを知っている必要はなく目の前のクライアントに必要な分を知っていればよい。
また各理論にはそれぞれ得意分野とあまり得意でない分野がある。
ということがあると思います。
ただ、理論自体は大切なもので、現在の患者さんの状態に対して説明、解釈し、未来の予測を立て、治療の手段を決めるものです。
また臨床家タイプや研究者タイプなど立場によっても理論にたいする姿勢が違ってくると思います。
卑近な例ですが、町医者と大学病院で研究している医者のように、研究者は理論をきちんと構築することが仕事で、良い理論が構築できればそれがゆくゆくは全体の治療の質を上げることにつながります。
町医者は目の前の患者さんの為に最も有効そうな手段を選択していくのだと思います。
いづれにしても理論は大事なものだと思います。
老荘思想(2023年9月)
『老子』とその後の時代の『荘子』、その二つの思想を合わせて老荘思想といいます。
東洋思想の中でも私の好きなものの一つなのですが、実は日本文化に大きな影響を与えているのです。
老荘思想の日本への伝わりは一つは漢学(中国学)として。
特に江戸時代は官学として儒教が取り入れられました。
なので漢学の中心は儒教ですが、儒教以外も伝わっておりその中の一つとして老荘思想も伝わっています。
もう一つの流れは仏教を通して。
仏教はインドで釈迦によて生まれた宗教ですが、龍樹によって空を説いた大乗仏教が生まれ、その他にも唯識派や土俗の宗教を取り込んだ密教などが生まれます。
大乗仏教が中国に伝わるわけですが、そこで中国の思想とくに老荘思想と融合して新たな仏教、中国仏教が生まれます。
それが禅宗と浄土宗です。
禅宗は中国で大きく花が開きそれが日本にも伝わり、日本文化にも多大な影響を与えます。
浄土宗は中国よりも日本で大きく発展しました。
自然法爾は老荘思想とかなり近しい概念といえると思います。
老荘思想を説明するのは難しいのですが、一言でいうと、「無為自然」。
無為自然とは人間のさかしらな知恵を捨てて、大いなる自然の法則に沿った生き方をしようというものです。
ことさらに人間のさかしらな知恵を否定する禅宗、阿弥陀仏にすべてをゆだねる浄土宗、一見すると全く反対の宗派に思えますが、両方とも老荘思想の影響を受けているというのは面白いですね。
周易と老子(2023年8月)
私は鍼灸を業としているものですが、ライフワークとして東洋思想を学んでいます。
東洋思想は東洋医学のバックボーンでもありますので、東洋医学を学ぶ者はいづれ学ぶ必要があるのですが、鍼灸を抜きにしても面白いものです。
周易にしても老子にしても色々解釈の余地があり、個人的には私的に色々解釈をして楽しんでいます。
周易は面白いもので、儒教の重要な経典であり、儒教とは相反する老荘思想においても大事な経典となっています。
周易はもともとは占いですがそれを哲学まで高めたのが儒教になります。
あくまで私的な解釈ですが、生き方として周易を考えるならば、二つの道を示しているように思います。
一つは能動的に理性的に教え導き命令する父なる乾の道、もう一つは受動的に共感的に育て癒す母なる坤の道。
なので地天泰という上のものがへりくだって下のものと交流するある意味慈愛に満ちた卦があるかとおもえば、火雷噬ゴウのように邪魔なものは断固として排除する(獄を用いるに利し)非常に強権的な卦もあります。
この背反する二つの道を時と場合によって使い分け、全体としての調和を実現するのが周易の基本的な考え方だと思います。
老子は一言でいうと無為自然、人間のさかしらな考えを捨てて自然に沿った生き方をしようというものです。
あくまで私的な解釈ですが、先ほどの周易との関連でいえば、母なる坤の道こそが唯一の無為自然の道と老子は述べているように思います。
老子では儒教的なものを否定しますが、それは学ぶこと、規範を作ること、命令すること、いづれも父なる乾の道です。
老子が理想とするのは女性、水、赤子、小国寡民など柔弱なるもので、一見すると弱いものばかりですが、それがしなやかな強さを持ち、剛強なものに勝つといいます。
周易の母なる坤の道と老子の無為自然の道は全く同じとは言えないかもしれませんが、かなり近いものだと思います。
老子と周易、一見すると関連性が無いように思えても視点を変えてみればつながりが見えてくる、面白いですね。
温故知新(2023年7月)
温故知新とは「昔のことを研究して新しい知識や道理を知ること」ですが、伝統の知恵には宝物がたくさんあると思います。
もちろん鰯の頭も信心からではないですが、無批判に何でも信じると危険なこともあります。
宝物とゴミをきちんと区別する目を持たなくてはならないと思います。
TCH(Tooth Contacting Habit(歯列接触癖))という上下の歯を"持続的に" 接触させる癖があります。
上下の歯が接触する程度の力でも口を閉じる筋肉は働いてしまうため顎関節への負担が増え様々な不調を引き起こす原因になります。
解消法としては「歯を離す」と書いた付箋をテレビなどに貼り、歯を離す習慣付けを行うというものです。
その他に舌先を上の歯と上顎の間につけるというのがあります。
実はこれ舌砥上顎といって気功にもあります。
気功では督脈と任脈をつなげて気の流れをよくすると説明されます。
舌砥上顎のほかにも、立身中正、虚領頂頸など重要なものが気功にあります。
鎌田 實先生の著作などで書かれているかかと落とし体操も八段錦という気功体操のなかにあります。
背後七顛百病消というのものですが、腎を高めて万病を治すとされていますが、腎は東洋医学的には骨と関係がありますので骨粗しょう症予防に東洋医学的にも効果的だと思います。
伝統の知識を改めて見直すことも大事だと思います。
鍼の響き(2023年6月)
「鍼の響き」とは鍼治療によって、重だるい感じ、締め付ける感じ、温かい感じ、冷える感じなど患者さんが感じるものです。
中国では「得気」といいます。
得気(鍼の響き)が無いと効果がないという流派もありますが、必ずしも必要というわけではなく、得気(鍼の響き)が無くても十分効果はあります。
また鍼の響き(得気)が好きという患者さんもいますが、鍼の響き(得気)が苦手な患者様も多くおられます。
鍼の響き(得気)とは関係なく、古典には「気至」という言葉が有ります。
「その気至ること、釣針へ魚のかかるが如く、意をもってこれをうかがうべし」
柳谷素霊はその鍼灸師の手指を通して触知する感覚を鍼妙と表現しました。
藤本先生はオ血はスカスカした軽石、湿痰は粘っこい、気滞はすぐ締め付ける感じと邪実によって嗅ぎ分けていました。
私は邪気をチカッとした熱感として感じることが多いです。
いづれにしても、鍼の響き(得気)はそれほど気にする必要は無いと思いますが、気至(鍼妙)は非常に大事であると思います。
易の話のつづき(2023年5月)
前回の易の説明で足りないところがあったみたいなので、今回は前回の補足をさせていただきます。
艮(山)の卦のコアイメージは「覆いかぶさるようにして動かないように押し止める」と前回説明しましたが、艮の卦の「止まる」は分かるが「覆いかぶさる」はどういうことか、とのことですが、例えば山水蒙という卦がありますが、外卦が艮(山)、内卦が坎(水)となります。
コアイメージでは坎(水)は「解決しなければならない問題、困難」となります。
山水蒙をコアイメージで解くと、内に問題があるが、外の艮が覆いかぶさっている。つまり内なる問題が外からフタをされて見えなくなっている、と解釈できます。
蒙は童蒙という言葉もありますが、世間知らず、若気の至りというのに近い、自分の欠点が分からず失敗を犯す可能性がある、ということです。
なので蒙を啓く、啓蒙が大切となります。
あと、梅花心易についてですが、前回述べませんでした。
前回は卦名や卦辞(おみくじを引いたときに書いてある説明文のようなもの)を中心に判断する周易、四柱推命のように得られた卦から自動的に干支を配して五行的(相生や相克)に占う断易(五行易)を述べました。
周易は卦名や卦辞・爻辞で判断するのですが、判断しづらいケースが多い、その為漢の時代に象数という概念で易学上の発展がありました。
象とは現実世界のもの、数とは概念化された本質、ここでは八卦のこと、つまり現実世界のもの一つ一つを全て八卦に分類していくというものです。
それによってそれまでよりも占いの判断がしやすくなりましたが、それでも吉凶の判断が難しい場合もあります。
そのような中で断易(五行易)は明確に吉凶が判断できる利点がありますが、手順に従って干支を配したり六親を配したりと手順が煩雑な面や卦象や卦辞など周易を全く無視している面もあります。
そして梅花心易ですが、梅花心易は立卦(得卦)の方法がこれまでと全く異なります。
周易も断易(五行易)も筮竹やコイン(又はサイコロ)によって、卦を得ます。
梅花心易は現実の現象から卦を立てます。
例えば若い男(艮三)が南(離火)から来た場合に、山火賁という卦を得るというものです。
これは易学上からは大きな転換で、数(ある意味神意)から象(現実世界)を理解するという流れから、象(現実世界)から数(ある意味神意)を理解する流れができたということです。
占卦(得た卦の解釈)としては得た卦を体と用に分け、変卦や互卦も参考に五行的(相生や相克)に体が強まれば吉、体が弱まれば凶とします。
また、卦辞や爻辞も参考にします。
よって占卦(得た卦の解釈)としては周易と断易(五行易)の合わさったものといえます。
ただ、梅花心易は略筮法と同じ一爻変となりますが、本筮法や中筮法では変爻が六爻全てになったり、変爻が無い場合もあります。
易学上としてはこちらの方が本来の易の姿ではないかという問題もあります。
以上、前回の補足をさせていただきました。
山沢損と風雷益(2023年4月)
今回は易についてです。
易は元々占いとして始まりました。
その後、陰陽という宇宙の法則を表しているとされ、人がどう生きるにかという哲学・思想としても発展します。
東洋医学では易の法則から医学の法則を見つけ出そうという医易学という学問もあります。
易の構成としては、太極から陰陽が生まれ、その陰陽がそれぞれ陰陽に分かれて四象が生まれ、四象がそれぞれ陰陽に分かれて八卦が生じます。
その八卦どうしの組み合わせ、64卦で宇宙全ての陰陽法則が表せるとしています。
占いとしては、卦を出して、卦名や卦辞(おみくじを引いたときに書いてある説明文のようなもの)が64卦それぞれに書かれているのを参考にして占います。
実際に占ってみますと卦辞などが難しく占いを判断しづらいという面があります。
生年月日時間から自動的に干支を配して占う四柱推命という占いがありますが、得られた卦から自動的に干支を配して占う断易(五行易ともいう)があります、これは占いの判断がしやすいという利点があります。
しかしながら四柱推命のように占うので本来の易の陰陽の法則をきちんと表しているのかという面があります。
ここでは試論として、易の64卦は8卦同士の組み合わせとして捉え、8卦それぞれにコアイメージを当てはめ、そのコアイメージから64卦(ここでは山沢損と風雷益)を読み解いてみたいと思います。
山沢損
易書などを読むと山沢損は地天泰の下の一陽を上に与えたもの、自分を減らして他人に与える、「損して得取れ」などと書かれています。
これをコアイメージで読み解いてみると、山(艮)の卦のコアイメージは「覆いかぶさるようにして動かないように押し止める」。
沢(兌)の卦は元々は砂漠のオアシス、湧き水の出る沢で人々が集まり生活を豊かにする、喜びですが、易では享楽という悪い意味合いでも使われます。コアイメージは「喜び、享楽、欲望」。
山沢損をコアイメージで読み解くと「内なる喜び・欲望を外に出ないように抑える」つまり禁欲というようなイメージになります。
ことわざの「損して得取れ」も間違いではありませんが、「若い時の苦労は買ってもせよ」のほうがコアイメージ的には近い感じがします。
一時的に我慢をしよう。そしてその間に自分の力を増強しようというものです。
それゆえ、卦名は損というどちらかというと悪い名なのに、易書などでは吉の卦として書かれています。
易はタイムスパンが長いので最終的に得をするにはどうすれば良いのかという視点で書かれています。
風雷益
易書などを読むと風雷益は天地否の上の一陽が下に入ったもの、上のものが民に施しをしたもの、などと書かれています。
これをコアイメージで読み解いてみると、風(巽)の卦のコアイメージは「一定の力で押し続ける、隙間があればそこに入り込んで押し続ける」。
雷(震)の卦のコアイメージは「今まで動いていなかったものが動き始める、ビーンビーンとした振動」。
風雷益の卦をコアイメージで読み解いてみると、「動き始めたものが背中を押されている」追い風に乗っているというようなイメージになります。
易書で大吉と書かれているのもうなずけます。
今回はコアイメージで山沢損と風雷益の卦を読み解いてみました。
あくまで試論ですが、易の理解の一助になればと思います。