「院長の独り言」ジャンル別

「院長の独り言」をジャンル別でご紹介しています。鍼灸・東洋医学に対してもっと身近に感じていただこうと、一般の方にわかりやすく鍼灸・東洋医学にまつわるトピックを中心にお届けします。民間薬草や健康食材にまつわる話、鍼灸・東洋医学・健康に関する一般書などもあわせてご紹介いたします。

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「院長の独り言」ジャンル別~2017年~2019年に紹介した書籍

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鍼灸・東洋医学・医療関連書籍

『野の医療 牧畜民チャムスの身体世界』(河合香吏著、東京大学出版会)(2019年10月)

野の医療 牧畜民チャムスの身体世界本書『野の医療―牧畜民チャムスの身体世界』は、人類学者がケニア北部の牧畜民であるチャムスの民族医学について書いたものです。
病気というものを考えたとき、どの様にして病気を認識しているかは社会的、文化的な側面が大きいことを人類学は教えてくれます。
同じようなアフリカの牧畜民であっても病気の認識の仕方は異なるようです。

チャムスの人達は自分の経験した身体不調を日常的によくお互いに語り合っているそうです。
また、チャムスの社会では呪術的な病気理解の比重は軽く、家畜の解体や身体感覚などから生み出された独自の身体観を持ち、それにより病気を認識理解しています。
チャムスの人達は西洋医学の病院や専門の伝統医をほとんど使わず基本的には自家治療が中心ということです。

具体的な治療は薬草、瀉血、マッサージ、熱刺激・冷刺激などで他のアフリカの牧畜民の伝統医学とあまり変わりませんが、病気の認識は面白く思いました。

病気や病気からの治癒を身体の状態の変化としてとらえており、他の経験と同じく個人的な経験として捉え「病気イコール負け」というような負のイメージとして捉えていないようです。
また病気は当然身体にかかわる問題ですが、死は人間の存在に関わる問題で身体にかかわる問題ではないとして、死を病気に連続する問題として扱っていないそうです。

本書を読んで思ったのは、チャムスの医療の世界では患者本人が医療の中心なのだ、ということでした。
近代合理主義以降の現代医療の世界では、病気の認識も診断・治療も全て医師に委ねざるえなくなっています。
医療の中心であるべき患者本人が医療から疎外されているようにも思えます。
もちろん近年インフォームドコンセントやセカンドオピニオン、患者本人による治療の選択など患者本人が医療に参加する動きがありますが、患者がどれだけ医療の枠組みの中に実感を持って参加できているかは疑問に思うところもあります。

近代合理主義以降の物の見方・考え方は本当に正しいのか、修正するところ、補うところはないのか、現代医療は本当に人を幸せにする医療なのか。
これは医療だけではなく、環境問題、経済の在り方、国際秩序の在り方など、社会の在り方にも繋がると思うのですが、近代合理主義以降の物の見方・考え方を再考することも大事なのではないか。

そういった面からも東洋医学・東洋思想というものが現代に存在する意味があるのではないか、と改めて思いました。

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『手の治癒力』(山口創著、草思社)(2019年9月)

手の治癒力本書『手の治癒力』は、手による癒しについて書かれています。

古代では手による癒しは重要な治療の手段であったが現代の医療では手を介した肌と肌の触れ合いがほとんど無い医療になってしまった。

手を含めた触覚の脳に占める割合は大きいものであるし、実際皮膚感覚がこころとからだに大きな影響を与える。

猿の赤ちゃんがスキンシップの無い状態で育てるとちゃんと育たなかったという実験結果などの例もあり、スキンシップはこころとからだの成長や健康に重要である。

そのようなことから手を介した皮膚へのアプローチはこころとからだの健康にこれからますます必要である。

ザックリと要約すると以上のような内容でした。

また、現代はメールやSNSなどのネットによる文字や画像の情報の割合が非常に大きく、触覚などの身体を通した情報の割合が減少しているのではないか、という指摘は個人的にとても面白かったです。

現代医療は薬物療法が中心でありますが、鍼灸などの非薬物療法、物理療法の役割というものがもっと見直され、もっと現代の医療のなかで占める割合が増えていくことを期待します。

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『東西生薬考』(大塚恭男著、創元社)(2019年8月)

本書「東西生薬考」は、東洋と西洋の生薬を比較したものです。
東洋では『神農本草経』から西洋では『ギリシャ本草』から本格的な生薬についての研究がはじまります。

本書を見て面白かったのは、同じ生薬に対しては洋の東西を問わず同じような薬効を認めていたということです。
特に萬菫不殺、トリカブトの毒とサソリの毒を合わせると毒性が弱まることを2000年程前に中国とローマで知っていたということは驚きでした。
中国とヨーロッパでその当時から東西交流があり伝わっていったのか、それとも中国とヨーロッパで別々にその薬効を見つけたのか、分かりませんが、いづれにしても凄いことだと思います。

近代合理主義以前はヨーロッパもギリシャ医学と呼ばれる伝統医学でした。
ギリシャ医学は現代には伝わらず滅びたわけですが、文献である程度知ることができます。
ギリシャ医学だけに限りませんが様々な伝統医学同士を比較研究することは重要だと思います。
それにより東洋医学の本質への理解が深まり、未来に向けての在り方のヒントも得られると思うからです。

ちなみに、著者は漢方の医師として活躍されましたが、そのお父さんは大塚敬節先生といって漢方医学復興に尽力した非常に有名な漢方医です。

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『血液型で分かるなりやすい病気なりにくい病気』(永田宏著、講談社ブルーバックス)(2019年6月)

血液型で分かるなりやすい病気なりにくい病気本書『血液型で分かる なりやすい病気・なりにくい病気』はタイトル通り、血液型でなりやすい病気なりにくい病気がわかるという内容です。

血液型で何かが分かるというと我々日本人は、血液型占い(血液型性格診断)を思い浮かべますが、血液型占いは科学的根拠は無いとされており、血液型占い自体も日本、韓国、台湾ぐらいでしか行われていないようです。

本書による、血液型によってなりやすい病気なりにくい病気があるというのは科学的根拠がある話で、全ての病気について血液型による差があるわけではありませんが、一部の病気に関しては統計学上有意の差があるようです。

ちなみに血液型の割合は日本では、A型38.2%O型30.5%B型21.9%AB型9.4%で大体4対3対2対1だそうですが、地球規模でみると西側はA型の割合が高くなり、東側はB型の割合が高くなる、また北側はA型の割合が高くなり、南側はO型の割合が高くなるそうです。

で、具体的な血液型と病気の関係ですが本書によると、膵臓がんのなりやすさはO型に比べてA型は1.32倍、B型は1.72倍、AB型は1.51倍だそうです。

もちろんガンの発病の要因はタバコやアルコール、ストレスなど様々あるわけで、それらのリスクを軽減することが1番大事ですが、膵臓がんの場合何らかの要因で血液型の違いによる有意の差があるようです。

その他本書で述べられたものを列挙してみると、
胃がんはO型に比べてA型は1.20倍がんになりやすい
O型は消化器潰瘍になりやすい
静脈血栓症、肺塞栓症などの血栓がO型はできにくく、A型はできやすい
B型はマラリアで重症化しやすく、O型は他の血液型と比べると重症化への抵抗性がある
O型はコレラに弱い
ピロリ菌はO型は感染しやすくA型は感染しにくい
などです。

血液型の違いは何故生じるのかというと、赤血球の表面にある抗原の違いだそうです。

この抗原は糖鎖という糖からできた物質で赤血球だけでなく、消化管や皮膚、肺、気管支、腎臓、膀胱などや、唾液などの体液にも含まれる物質だそうで、唾液からでも血液型が分かるのはそのためだそうです。

血液型の違いを東洋医学的にどう解釈するのかは難しい問題ですが、例えばO型は消化器系が弱いと仮定するならば、素体として脾虚の傾向があるといえるかもしれません。

糖鎖は何らかの情報の遣り取りをして差異を生み出していると思われますので、将来的には血液型も東洋医学的な体質を考えるうえでの何らかのヒントになる時代が来るかもしれませんね。

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『閃く経絡』(ダニエル・キーオン著、医道の日本社)(2019年5月)

閃く経絡近年は何事にもエビデンス(科学的根拠)が重要視される時代といえます。
東洋医学(伝統医学)と西洋医学(近代合理科学に基づく医学)は理論体系が全く異なるので、なかなか西洋医学的に説明することは難しいと言えます。
そんな中で東洋医学者としては大きく分けて2つの立場があると思います。
東洋医学と西洋医学は本来異なるものなのだから独立独歩で東洋医学は独自の道を行くべきというもの。
もう一つは東洋医学と西洋医学が共通する部分を見つけて融和する道を探るというもの。
昔から東洋医学を何とか西洋医学で説明しようとした人達もいました。
鍼で言えば、ゲートコントロール理論や内臓体壁反射などの鍼の刺激が神経に作用して治療効果を得るというものや、鍼の刺激が筋肉のいわゆる凝りを解消し血行などが良くなるというもの、最近は鍼の刺激が筋膜に作用していると言われています。

本書『閃めく経絡(ひらめくけいらく)―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む!』は後者の立場で鍼の効果を西洋医学的に発生学の立場から説明したとても意欲的な本です。
著者は医師でもあるダニエル・キーオン氏でキングストン大学で中医学と鍼を学び、北京で王居易医師に師事した英国人です。
内容を一言でいえば、「ファッシアが経絡である」ということです。
で、ファッシアが何かというと筋膜です。
ファッシアの日本語訳は筋膜ですが、単純に筋肉を包む膜だけでなく内臓を包む膜だったり、境界を作る結合組織がファッシアであり、それが経絡であると本書では述べられています。
個人的にとても面白かったのは、太極図を使ったファッシアの説明で、真ん中の陰と陽の境目、境界がファッシアつまり経絡である、というものでとても面白い視点だと思いました。
本書ではそのほかにも、東洋医学の精は神経堤細胞と関係しているのではないか、少陰経は腹膜後腔、太陰経は前腎傍腔、厥陰経は腹膜、横隔膜、心膜と関係しているのではないかなど興味深い視点がたくさんありました。

個人的には経絡イコールファッシアなのか、はたまた経絡という大きなものの一部にファッシアがはいっているのか、分かりませんが経絡を考える上での一つの大きな見識だと思いました。

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『欧米人とはこんなに違った日本人の体質』(奥田昌子、ブルーバックス)(2019年4月)

本書『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」 科学的事実が教える正しいがん・生活習慣病予防』でいう体質とは、遺伝的要因と環境的要因が絡み合って形成される性質であり、どの病気には罹りやすく、どの病気には罹りにくいかを決める性質です。
もちろん同じ日本人でも一人一人の体質は同じではありませんが、民族や人種など大きな集団の単位でみると共通している部分があり、民族や人種ごとに体質が異なるということを本書では述べています。

例えば本書によると日本は世界的に皮膚がんが少ない国の一つで皮膚がんが多いオーストラリアやニュージーランドの100万分の1の発症率です。
また、世界の肝臓がんの4分の3が中国、インド、日本を含む東アジア、中央アジアだそうです。
つまり、同じ病気でも国や人種によって発症率や原因、症状などに違いがあります。
米国では人種による体質の違いを踏まえた医療の提供をしているそうです。

日本人と欧米人は体質に違いがあるので欧米人に当てはまることが必ずしも日本人に当てはまるとは限らない、日本人の体質に合う、日本人のための医療、健康というものを考えていかなくてはならないということです。
本書によると肉やバターなど動物性脂肪を多く摂っている欧州人の中で、赤ワインを多く摂るフランス人は心臓病の死亡率が欧州で一番低い、それで赤ワインが心臓病に良いと日本でもブームになりましたが、日本人は欧米人と比べるとアルコールを分解する酵素の働きの弱い人が多く、逆にアルコールによるリスクの方が高いと思われます。
また、動脈硬化を防ぐのにオリーブ油が良いと地中海料理が参考にされていますが、欧米人と比べると日本人は皮下ではなく内臓に脂肪が付きやすいので油も必要以上に摂りすぎると欧米人よりもリスクがあるということです。

私達、東洋医学者も体質ということを重要視していますが、その見方とは異なった西洋医学的観点から体質というものを捉えており、非常に興味深く、面白く読ませて頂きました。

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『老人必用養草』(香月牛山原著、中村節子翻刻訳注、農文協)(2018年7月)

『老人必用養草』は江戸時代の後世派の医者である香月牛山による養生書です。本書『老人必用養草(ろうじんひつようやしないぐさ)―老いを楽しむ江戸の知恵』は、その江戸の叡智を現代人の参考にと読みやすく活字化し、現代語訳したものです。

江戸時代の養生書としては貝原益軒の『養生訓』が現代では有名ですが、香月牛山はこの『老人必用養草』の他に『婦人寿草』という婦人科の養生の本や、『小児必用育草』という小児の育児書も書いています。

この『老人必用養草』は5巻から成ります。
第1巻は総論で養生の大切さを述べています。
第2巻は飲食について、第3巻は衣服、住居、季節ごとの養生について、第4巻は精神の保養、身体の保養、性欲について第5巻は老年の疾病治療について書かれています。

個人的に面白かったのは、第1巻で炭火の例えで養生の大切さを述べたところです。
炭は品質によって灰になるのが速いのと遅いのとがあるが、速く灰になる品質の悪い炭もいろりのなかで温かい灰をかけて保存すれば長持ちする。
このように人も養生をすればたとえ生まれつき身体が病弱でも身体を長持ちさせることができると説き、40歳代を老化の始まりとして若い頃から元気な人も40歳代から養生に努めた方が良いといっています。
そして第4巻の身体の保養のところでも40歳代からはそれまでとは仕事のやり方を変えるべきだとも述べています。

現代と江戸時代では異なる部分もあるので、この本の内容をすべて無条件には受け取れない部分もありますが、ある程度早い年代から養生に努めた方が良いというのは私も賛成です。

養生は習慣ですので、高齢になってから、「さあ、やろう」と思ってもなかなか難しいです。
運動一つとっても、日頃から運動不足の人はある程度まだ筋肉があるうちに運動する習慣をつけることが大切です。

しかし結局のところ、歳を経ていくとどうしても10代、20代の頃とは違い身体は衰えていきます。
そんななかで、今の自分の身体に合わせて、日々の生活や仕事を行う。
それが香月のいう40歳代からはそれまでとは仕事のやり方を変えるべきだということだと思います。

今の自分の身体と日々の生活を調和させる、それが養生の極意なのではないか、本書を読みながらそんなことを考えました。

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『アイヌの知恵 ウパシクマ』(語り:中本ムツ子、新日本教育図書株式会社)(2018年5月)

アイヌの知恵 ウパシクマアイヌの人たちの暮らしの知恵の伝承をウパシクマといいます。

例えば洗濯の水は灰を入れて沈殿した上澄みを使うなど(昔は川の水を汲んで生活に使用していた)、その知恵は生活全般にわたり、薬草の知恵もその中に含まれます。

薬草の知恵としては、

  • 頭痛にナギナタコウジュをお粥に混ぜて食べる。
  • 傷にはヨモギの葉を揉んで傷口の上に貼りフキの葉を被せ、フキの茎で縛る。
  • 虫刺されにはハコベを揉んで汁と一緒に葉を付ける。
  • 背中の腫れものにあぶったオオバコを貼って排膿を促進させる。
  • 足首のねん挫にはエゾテンナンショウの根を擦って貼る。
  • 膝痛にはニワトコの枝先を煎じてそこに足を入れて温める。
  • 腹痛にはキハダの皮を削り黄色い部分を細かく削って水と一緒に飲む。

などがこの本には書かれています。

多くは漢方薬などの生薬としても使われていて生薬名は、「ヨモギは艾葉」、「オオバコは車前草」、「テンナンショウは天南星」、「ニワトコは接骨木」、「キハダは黄柏」となります。

身近な植物の中に薬用となるものが沢山ある、本当に自然の恵みですね。

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『杏林史話・伝説―神代から現代まで』(松田義信著、東洋出版)(2017年10月)

杏林史話・伝説本書『杏林史話・伝説―神代から現代まで』は古くは神農や黄帝などの伝説から新しくは中国の文化大革命による伝統医学への排撃など中国医学の歴史上のお話しが書かれています。

本書のタイトルともなっている杏林の伝説は次のようなものです。

廬山に住む董奉は仁医として知られ、貧しい人から報酬を受け取らなかった。

それで村人たちはお礼として董奉の家の周りに杏の木を植えた。

やがて董奉の周囲は広大な杏の林となった。

杏の実がなると董奉はこれを貧しい村人達に配った。

董奉が亡くなると村人はその徳を慕って杏の林の中に董奉の祠を建て、「董仙杏林」と呼んで守り続けたという。

これ以来、杏林の二字は仁医を、さらには医界や医家を指すようになった。

日本においても杏林の二字を使った製薬会社や大学があり、また薬局などの医療関連施設でもよく使われています。

本書の中で、個人的に面白かったのは、堂の由来です。

歴史的に医院や薬店に「堂」の文字をつけることが多いのですが、その由来です。

昔の中国には2タイプの医師がいました。

一つは、「鈴医」といい鈴を鳴らしながら街や辺鄙な村を巡り、求めに応じて医や売薬を行うものです。

もう一つは、張仲景が始まりと言われていますが、「座堂行医」といい公堂に坐して大衆に医を行うものです。その後、居をかまえて医を行うその医院や薬店に堂の名前を付けるようになった、というものです。

日本においても堂の付く病院や薬局や鍼灸院が(当院もそうですが)けっこうあります。

なにげない名称のなかに、歴史的な意味が含まれているのですね。

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『日本の名薬』(宗田 一著、八坂書房)(2017年9月)

本書『日本の名薬』は、万金丹、反魂丹、ガマの油など日本各地に伝わる薬について、それぞれの薬の由来や当時どういう様子だったのか、ということが書かれています。

現代でもそうですが、江戸時代も医者に処方される薬と一般の人が自分で買う薬がありました。

万金丹、反魂丹、ガマの油などは一般の人が自分で買う売薬でした。

万金丹はお伊勢参りのお土産として伊勢白粉とともに全国に広まりましたし、反魂丹は越中富山の売薬行商による配置薬として全国に広まりました。

ガマの油は香具師が露店で口上とともに販売していました。

ガマの油の口上は関東と関西で異なり、関東では筑波山で関西では伊吹山だったようです。

面白いのは万金丹、反魂丹、ガマの油、それぞれ落語のお話の中に出てきます。

それだけ庶民に親しまれていた、ということなのでしょう。

あと面白かったのは、近江の返本丸、これは牛肉の味噌漬なのですが、彦根藩から徳川将軍などに毎年寒中見舞いに薬用として送られていました。

江戸時代は基本的には肉食はしていなかったのですが、薬餌としての肉食、いわゆる薬喰として猪、鹿、牛などの獣肉が食べられていました。

また薬喰に広くは鮭、鰻、鶏卵なども含めていたようで、動物性たんぱく質を薬として服用していたことがわかります。

本書を通して江戸時代の薬の様子が垣間見えてとても面白かったです。

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武道・東洋思想関連書籍

『中国神秘数字』(葉舒憲・田大憲著、鈴木博訳、青土社)(2019年3月)

本書『中国神秘数字』で述べられている神秘数字とは、数字本来の計測的な数字の意味の他に文化的な意味が付与されている数字のことで、それを神秘数字と述べています。

「1」、「2」、「3」の数字は世界の多くの文化圏で重要な意味を持ちますが、それ以上の数字については文化圏ごとに数字の重要度が異なるようです。

キリスト教文化圏では「7」という数字が特別な意味を持っています。
ノアの箱舟では動物を7つのつがいづつ乗せたり、ヨハネの黙示録の7つの封印など、聖書のなかには「7」という数字が再三出ててきます。

中国文化圏では「5」と「9」が特別な意味を持ちます。

「5」は陰陽五行思想があるため、五行に関係した言葉も多く「5」という数字は歴史的に中国文化の中で特に重要な数字であります。

「9」は陽が極った数で完全、多数の意味があり、また「久」という字と音が似ているので、長く続くという良い意味があります。
『黄帝内経』の『素問』も『霊枢』もそれぞれ81篇から成りますし、『老子』も81章から成ります。
重陽の節句(9月9日)が中国で大事にされたのも長く続くことを願ったものなのでしょう。

中国文化の影響を大きく受けた日本においては逆に「9」は「苦」と音が似ているので苦につながるとして「9」は縁起の悪い数字です。
桃の節句(3月3日)や端午の節句(5月5日)は日本で広まったのに重陽の節句(9月9日)が日本に広まらなかったのも頷けます。
「9」という数字に対して日本と中国で異なるのも面白いですね。

もっとも近年は「8」という数字が、中国国内で重要になっています。
「8」の発音が「発」と似ているので「発財」で「8」がお金儲けにつながるというものです。

文化によって数字の意味が異なるというのも面白いですし、同じ文化でも時代によって数字の意味が変わることがあるというのも面白いですね。

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『日本の名著〈20〉三浦梅園』(山田慶児責任編集、中央公論社)(2017年7月)

本書『日本の名著〈20〉三浦梅園』には三浦梅園の著作の『玄語』『贅語』『造物餘譚』(『玄語』『贅語』は抄録)が収められています。

三浦梅園は江戸時代の思想家です。

三浦梅園の著作は難解なので、その思想は分かりづらいのですが、簡単に言うと、条理学という独特の陰陽論を打ち立てました。

時代は西洋の学問が日本にどんどん入り、特に天文学や解剖学の影響は大きかったときでした。

そんななか三浦梅園はおそらく今迄の伝統的な陰陽五行理論ではこの世界・自然をうまく説明できないと考えて新たな説明工具として条理学を作りだしたのだと思います。

解説で山田慶兒はシンメトリーの哲学と三浦梅園の思想を表現していますが、三浦梅園の思想の特徴は、五行を否定し、「反観して合一する」ものを陰陽の対として捉え、その陰陽の対が無限に続いていく世界観です。

易でいえば、太極から両義が生れ、両義から四象が生れ、四象から八卦が生まれる。

つまり、一から二が生まれ、二から四が生まれ、四から八が生まれる。

梅園の思想では、それが無限につづく世界です。

三浦梅園はその体系を作るのに、新たな用語や定義など工夫をしています。

天円地方という言葉があるように伝統的には円と方(四角)が対ですが、三浦梅園は直円を対としました。

日月も伝統的には対ですが、三浦梅園は日影を対としました。

また、声(名称)と主(実体)、反(反対のもの)と比(同類のもの)、剖(全体と(分かれた二つの)部分との関係)と対(分かれた二つの部分同士の関係)というように新たな定義づけをしています。

私が個人的に好きなのは「一はとりもなおさず一一であり、一一はかくて一である」という『玄語』(本宗 陰陽)の中の言葉です。

いままでの伝統では「一は二を生じる」というものですが、三浦梅園は「一は一一を生じる」と言っているのです。

二ではなく一一としているところが面白いです。

これは太極から分かれた陰陽という二つの部分と太極という全体の関係性を述べているのであり、太極から分かれた陰陽はそれぞれ太極である。

つまり全体から分かれた二つの部分はそれぞれが全体性を持っている。

現代でいえばフラクタルやアーサーケ・ストラーのホロンに類する概念を考えていたのだと思います。

また、「反観して合一する」という考えはヘーゲルの正反合の弁証法との類似も指摘されています。

三浦梅園の思想は、東洋思想のいくつかある発展の可能性の一つと言ってよいのかもしれません。

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日本史関連書籍

『日本近代二百年の構造』(謝世輝著、講談社現代新書)(2019年11月)

日本の近代化については、「日本の近代化は明治維新から始まった」「維新以前はまだ封建社会の時代で、前近代である」「外圧により日本の近代化は始まった」などと一般的には考えられていますが、本書『日本近代二百年の構造』の著者は1770年代の江戸時代にすでに日本の近代化が始まった、と述べています。
明治元年が1868年で、大政奉還がその前年の1867年ですので、およそ百年前に日本で近代が始まったことになります。

その論拠として、その当時日本だけでなく、インド、中国をはじめアジアの各国が西洋の外圧を受けていたのに何故日本だけが近代化できたのか、外的要因だけでなく内的要因が重要なのではないか、それは日本では独自に近代化を始めていたからではないか、というものです。

実際1770年代前後から、日本ではコメ経済から商品経済へと移行していき封建的な経済が崩壊してきたこと。
また、日本的な合理主義がこの頃生まれたこと。
心学などの修養の教えが西洋のピューリタニズム と同じように禁欲や勤勉を生み出し、寺子屋や藩校も増え識字率などが向上したこと。
などを挙げ、これが近代化の始まり、萌芽ではないかということです。

日本的な合理主義の例として、三浦梅園、山片蟠桃などを挙げていますが、個人的に面白かったのは、吉益東洞や山脇東洋らの古方派(古医方)を日本的な合理主義の例として挙げたところです。
古方派はそれまでの学説をただ鵜呑みにするのではなく、実際に経験してみて有効なものを尊重する実証科学ともいうべきもので、その中から山脇東洋らのように腑分け(人体解剖)をする人達が出て杉田玄白の『解体新書』につながっていきそれが蘭学の隆盛につながります。
また、吉益東洞らのように中国とは違った日本独自の合理主義的な東洋医学(漢方医学)を生み出す人達も出てきます。
実はこの古方派の流れは、伊藤仁斎や荻生徂徠の古学の影響を受けのものですが、古学自体も『論語』などの儒教の古典に帰るべきだとして、文献学的に実証的な学問を打ち立てたものです。

歴史もいろんな見方があるとは思いますが、興味深く面白かったです。

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科学関連書籍

『人類と気候の10万年史』(中川毅著、講談社ブルーバックス)(2019年12月)

人類と気候の10万年史本書『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』の著者は福井県水月湖の湖底の堆積物・年縞(一年ごとの地層)を研究されている古気候学者です。
水月湖の湖底の堆積物は15万年分にもなりそのうち年縞は5万年分だそうで、花粉などから当時の気候の様子が分かるそうです。

水月湖の研究も興味深かったのですが、個人的にはもっと大きなタイムスケールでの地球の気候変化が面白かったです。

世界各地の岩石に含まれる酸素の同位体比から復元された過去5億年の気候変化では、地球は寒冷と温暖を何度も繰り返しています。
現代は氷期が終わった後の温暖な時代ですが、北極と南極には氷が残っています、しかし1億年前から7,000万年前は北極と南極にも氷が無かったそうで、大きな傾向の中ではむしろ現代も寒冷な時代とも言えます。

南極の氷に含まれる酸素と水素の同位体比から復元された過去80万年の気候変動では、現代と同じような温暖な時代は全体の一割しかなく、数十万年のスケールでみた場合には正常なのは氷期で、現代のような温暖な時代は氷期と氷期の間に10万年ごとに繰り返す例外的な温暖時代ということでした。

グリーンランドの氷に含まれる酸素の同位体比から復元された過去6万年の気候変動でもう少し細かく見ると、温暖期は細かな変動はあるものの基本的には温暖な状態を一定に保っていて、氷期は基本的には寒冷であることは確かなのだが非常に気候が不安定な時代で、その氷期の中でも急速に現代と同じくらいに温暖化したのが、過去6万年でも17回あるそうです。

近年、気候変動、温暖化が大きな問題となっています。
今後100年で最大5℃程度の温暖化になるともいわれています。
また反対に現代は本来ならばもう氷期になっていてもおかしくないともいわれています。

これまで続いたことは今後も続くという線形的認識や、二度あることは三度ある的な周期的認識で、単純に答えを出すことに本書の著者は反対していて明確な答えを出していませんが、気候という様々な要因が絡む複雑な問題にたいしては、地球規模と人間とのタイムスケールの違いによっても気候変動の意味が違ってくる部分もあると思いますし、安易に答えは出せないし、出さない方がよいのかもしれませんね。

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『大江戸生活体験事情』(石川英輔・田中優子著、講談社)(2017年5月)

本書『大江戸生活体験事情』は、江戸時代の専門家である著者たちが文献や絵からの知識だけでなく、実際に江戸時代を体験してみようという、面白い企画の本です。

実際に火打石を使って火を付けてみたり、行燈や旧暦で暮らしてみたり、着物や下駄で生活してみたりしてどうだったかということを感想とともに書いた本です。

当然ですが、現代の方が圧倒的に便利です。

本書に書かれていますが、江戸時代の生活は、ご飯を炊くのにも知識と経験が必要な非常に手間のかかる生活で、現代の炊飯器でご飯が炊ける時代とは便利さが違います。

その半面、江戸時代は非常にエコな、省エネルギー、省資源の低コストの社会でした。

着物は何度でも仕立て直しをするし、燃やすものも薪や拾った枝で賄える社会でした。

現代社会は社会を維持するのに非常にコストのかかる高コストの社会です。

電気にしろ、販売されている商品にしろ、大量生産、大量消費が社会の基盤となっています。

経済効率の重視がその背景にはあるのですが、無駄を多く生むシステムでもあります。

まるっきり不便な社会に戻るのは不可能に近いですが、ある程度の不便さを皆が受け入れてでも、社会のコストを下げることを考えるのも必要なのではないかと本書を読んで思いました。

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