東洋医学簡史「中国編」
原始社会の医療について(太古~BC21世紀)
この時代のことに関しては、文献がないため、当然のことながらよくはわかっていませんが、現代の研究で、齲歯(うし。虫歯のこと)などの口腔疾患、咬傷(こうしょう)・打撲などの外傷、難産などの産婦人科疾患、小児科疾患などの病が多かったことがわかっています。
この頃の医療としては、薬草の服用や痛むところに手を当てたり、ヘン石という石で作った鍼のようなもので治療をしていたと思われます。
面白いのは、現代の類人猿の研究で、類人猿が身体の調子が悪いときに薬となる薬草を食べていたとのこと。彼らは本能でわかるのでしょうね。また、シベリアのアイスマン(シベリアで発見された凍りづけの人間)のふくらはぎのところに刺青(いれずみ)があり、鍼治療の痕ではないかという説があります。アイヌにも、古代アイヌには特殊な鍼治療があり、その痕跡が入れ墨(いれずみ)として残ったようです。
医薬の起源、鍼灸の起源に想像をめぐらすのも楽しいことです。
夏~春秋の時代(BC21世紀~BC476年)
この時代は、巫(みこ。シャーマンともいう)と巫医(ふい)による医術の時代でした。医という字の異体字の一部に「巫」、この字が使われていることからもわかるとおり、この時代中国では巫と医が密接な関係にありました。このことは何も中国だけでなく世界各国でみられた現象です。
このような巫(シャーマン)という形態が世界各国でみられるということも、人(ひと)の神秘を考えるうえで非常に面白いですね。人の構造は、肉体だけにあらずして、精神的なものと密接な関係があるということを考えるうえで、非常に参考になると思います。
巫医による医療についての是非を問うことは、一概にそうとも言いきれないと思います。もちろん迷信の部分がかなりあることは事実でしょうが、正統医学の影で存続していることもまた事実で、何らかの有効性があるのではないでしょうか。中国でも明代まで祝由(しゅくゆう)という名で存在していました。
戦国~後漢の時代(BC475~AD220年)
この時代に『黄帝内経(こうていだいけい)』、『難経(なんぎょう)』、『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』、『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』という書物ができ、中国医学の基礎理論が確立されました。
この時代で一番の出来事は医と巫が分かれた事です。『史記』の『扁鵲倉公列伝(へんじゃくそうこうれつでん)』の中に六不治(ろくふじ)というのがあり、その1つに「巫を信じて医者を信じない」というのがあります。このことは、明確な医学理論とそれに基づく治療技術がこの時代に確立されたということでしょう。
『黄帝内経』
現存する本格的な中国医学書としては最古のものがこの『黄帝内経』です。この黄帝内経から東洋医学が始まったといっても過言ではありません。古いということだけなら1973年に馬王堆(まおうたい)より出土した「五十二病方(ごじゅうにびょうほう)」「足臂十一脈経(そくひじゅういちみゃくきょう)」「陰陽十一脈経(いんようじゅういちみゃくきょう)」などがありますが、「五十二病方」はまじないが含まれ、「足臂十一脈経」「陰陽十一脈経」は、経絡が十一しか記述されていません。「黄帝内経」では経絡のほか、経筋、皮部、経別について述べられており、より詳細な経絡システムとなっています。
内容は、黄帝(伝説の聖人)と岐伯(ぎはく)や雷公などとの問答形式で書かれ、成立年代は戦国時代から後漢ぐらいまでに、多くの人の手によって作られたものです。
『漢書』(『史記』と並ぶ、中国・後漢の歴史書)のなかにあげられている東洋医学の本は、『黄帝内経』のほか、『黄帝外経』、『扁鵲内経(へんじゃくだいけい)』、『扁鵲外経(へんじゃくがいけい)』、『白氏内径』、『白氏外経』がありますが、現代まで伝わっているのは『黄帝内経』のみです。もったいない話ですね。
「難経」
『難経』は『黄帝内経』にたいして、難(疑問)を問うという意味で、八十一項目の問答形式になっています。扁鵲(伝説の名医)が書いたとされており、黄帝内経では書かれていないいくつかの点をつけたし、東洋医学を完成に近づけました。
『神農本草経』
中国に現存する最古の薬物学の専門書です。「伝説の神農が百草を嘗め、毒にあたりながら薬効を調べた」という故事に基づいて名がつけられました。
『傷寒雑病論』
後漢の名医張仲景によって著されました。『黄帝内経』を理論的な指針とし、後漢時代以前の幾多の医家の臨床経験を総括したもので、中国医学の発展に多大な貢献をし、中国医学史に一つの金字塔を打ち建てた書物です。この『傷寒雑病論』は散逸し、後に『傷寒論』と『金匱要略(きんきようりゃく)』として世にでます。
魏・晋・南北朝の時代(220~581年)
この時代は『脈経』による脈学の総括と『鍼灸甲乙経(しんきゅうこうおつきょう)』による鍼灸理論の系統化、『呉晋本草』、『本草経集注(ほんぞうきょうしゅうちゅう)』などによる薬物学の進歩がありました。
『脈経』
王叔和(おうしゅくわ)の著。それ以前の脈に関する諸説を総括し、系統立てたもの。
『鍼灸甲乙経』
皇甫ヒツの著。黄帝内経を基礎として発展させ、鍼灸理論をまとめた書物。
『呉晋本草』
三国志に出てくる名医華佗の弟子である呉晋の著作。本草書で著者が明らかなのは、この本以降。
『本草経集注』
陶弘景の著。それまで系統的に整備されていなかった本草書を整備しました。
※この時代に『肘後備急方(ちゅうごびきゅうほう)』という医学の本が書かれましたが、作者は葛洪(かっこう)で『抱朴子(ほうぼくし)』(煉丹術の本)の著者でもあります。
隋・唐・五代期の時代(581~960年)
この時代は『黄帝内経太素(こうていだいけいたいそ)』、『補注黄帝内経素問』などによる『黄帝内経』の整理と注解、巣元方(そげんぽう)の『諸病源候論』による病因論の発展、そのほか『千金方(せんきんほう)』、『外台秘要(げだいひよう)』などの重要な書物がでた時代です。また、この頃太医署(たいいしょ)(今でいう国立医科大学)ができました。
※『千金方』は人の命は千金に値するというところから名づけられ(いい言葉ですね~)、医者のモラルについても論述されています。
宋・金・元の時代(960~1368年)
この頃になると、国による医療制度の整備が進み、医学教育・医籍の出版などが進みました。また、金元(きんげん)の四大家(よんだいか)などの独自の学説が生まれ、東洋医学の種々の学説が発展しました。
大家の名前 | 学説名 | 学説の内容 |
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劉完素 | 火熱論を提唱 | 火熱論とは、火熱が人体に多種の疾病をもたらす原因であるというもの。 |
張従正 | 攻邪論を提唱 | 攻邪論とは、人体が発病するのは、すべて邪気が人体を襲う為で、治療は速やかにその邪を除くことであるというもの。 |
李東垣 | 脾胃論を提唱 | 脾胃論とは、元気が人間の生の根本であり、脾胃が元気の源である。そのため脾胃が傷つくと元気が衰え疾病が発生するというもの。 |
朱丹渓 | 相火論を提唱 | 相火論とは、人体は、陽は常に余り、陰は常に不足する傾向にある。之により病は起こる。よって陰を補えば火(陽)は自ずから下るとし、滋陰降火(陰を補い火を降ろす)の薬を用いる。 |
明の時代(1368~1644年)
この時代は、薬物学が発展しました。方剤学、臨床医学、鍼灸においても発展をとげました。明代は、それ以前と比べ、医学者による著作の数も多く、その内容も豊富です。
主な著作物を列記すると、李時珍の『本草綱目』、高武の『鍼灸聚英(しんきゅうじゅえい)』、楊継洲(ようけいしゅう)の『鍼灸大成』、陳実功(ちんじっこう)の『外科正宗(げかせいそう)』などで、大著が多く存在します。
『本草綱目』 安微科学技術出版社 | 『鍼灸大成校釈』 楊継州著 黒龍江省祖国医薬研究所校釈 人民衛生出版 | 『外科正宗』 (明)陳 実功著 天津科学技術出版社 |
清の時代(1644~1911年)
この時代の特徴としては、一つは温病学説の形成でしょう。温病とは急性伝染病のことで、腸チフス、コレラ、マラリア、ジフテリア、ペストなどすべて含まれます。最近では、SARSなんかが話題になりましたね。これらのものに対して、有効な理論と治療技術が打ち出せるようになりました。
もう一つは考証学の発展です。考証学とは古代の様々な医学文献をつけあわせて調べ、実証的、客観的に古典を調べるというものです。
また、清政府の命により、『古今図書集成』医部全録や『医宗金鑑』などの、それまでの東洋医学の集大成ともいうべき書物が作られました。
しかし、鍼灸にとっては悲しいことに清政府は鍼灸禁止令を発します。「鍼灸の一法、由来すでに久し、然れども鍼をもって刺し火をもって灸するは、究ところ奉君の宜しき所にあらず、太医院鍼灸の一科は、永遠に停止となす。」これは王様に鍼を刺したり、火でお灸をするのはけしからんということらしい。太医院(国の最高医療行政機関)のみのことだったのが広まり、それまで漢方薬と双璧だった鍼灸は、小道だなどとおとしめられることになり、鍼灸の発展に一時的にマイナスとなりました。
日本でも戦後GHQが鍼灸治療を見て、日本人は病人を虐待しているとして鍼灸が廃止されそうになったことがあります。鍼灸師などの反対運動で幸運にも廃止はされませんでしたが。(病人をいじめているわけではないのに、おかしなことをいうものです)
現代における中国医学事情
今まで見てきたように、中国では、優れた医家によって諸説が提唱されたため、様々な流派が存在しました。それを毛沢東の号令による国家プロジェクトで、これまでの歴代の医学体系を、「中医学」という一つの体系的な理論でまとめあげました。現在、中国各地には、「中医学」を学ぶための国立中医薬大学が存在し、「中医」を多数排出しています。現代の中国では、漢方薬も鍼灸もこの理論で行われています。また中国だけでなく、アメリカ・ヨーロッパなども中医学の理論によって漢方薬や鍼灸が行われています。
東洋医学簡史「中国編」参考文献
『傷寒雑病論―傷寒論、金匱要略』(日本漢方協会学術部編集、東洋学術出版社)
『諸病源候論―校釈』(巣 元方著、牟田 光一郎翻訳, 南京中医学院、緑書房)
『中国医学の歴史』(主編傳維康、編訳川井正久、東洋学術出版)
『中国医学はいかにつくられたか』(山田慶児著、岩波新書)